竹富島に訪れたのは、今回が2回目。今回は、より島の文化に触れるための取材で訪れました。 1度目は約10年前にプライベートで訪れたのですが、赤瓦の家が白砂の道沿いに並ぶ集落に足をふみいれたとたん、その時の記憶とは変わらない島の姿にホッとしました。

今回取材したのは、島の長老、前本隆一さん(89歳)と弟子入りした東京出身の小山隼人さん。前本さんは、竹富港民間や自身が住む仲筋集落の顧問を務めるかたわら、島で昔から生産されてきた粟やにんにくを栽培しています。


竹富島では雑穀と野菜を中心に昔から農業が営まれていましたが、観光業や流通の発展とともに、農業を営む方々が年々減ってきているそうです。今回取材した前本さんは、竹富の畑文化を継承しようと、種子を自身で管理しながら、文化と知識を引き継ぐための活動を積極的に行っている、いわば島の長老!

その前本さんに弟子入りしたのが、東京出身である星のや竹富島で働く小山さん。船で10分の石垣島から通うスタッフが多い中、小山さんは竹富に居を構え、たまたま借りた家の集落を率いていた前本さんに出会ったことがきっかけで、弟子入りを「是非に!」と懇願したのだといいます。

これまでの竹富の島の歴史のほとんどは口承で伝えられてきました。「島の伝統文化や自分の中にある知識の継承に少しでも貢献したい」と前本さんは小山さんの弟子入りを快く受け入れたのだそう。
前本さんの畑に関する島の文化を守るための活動が心に響き、「生活に密接につながっている竹富島の畑文化を絶やさないことが自分の使命だ」と弟子入りを決めた小山さん。 


そもそも珊瑚が隆起してできた竹富島は、土壌がやせているために農作物が育ちづらい環境。島民の主食となっていたのは、島で採れる特有の芋だったのだそう。小山さんは、島独自の畑文化を守るために、畑を始めることを決意。前本さんから粟の種子や種芋を譲り受け、いろいろ指導いただきつつ、 スタッフ数名で施設内に畑を耕すところから始めたのだと言います。

施設のほぼ中央のベストポジション脇に畑が広がる光景も新鮮。「リゾート会社に就職したのに、島の農家の仕事を引き継ぐだなんて、おもしろいサラリーマン像ですね」と声をかけると……
「もともとこの離島の環境を求めて、配属を希望したんです」と小山さん。「天職ですね」と語りかけると、「前本さんに認められるのが今の目標です!」。「まだまだだよ」と笑いながら前本さん。

これからも島固有の農作物を中心に品種を増やしていきたい、と目を輝かせながら話をしてくれる小山さん。

島の気候が一年中温暖なため、お芋は三毛作が可能なのだそう。
竹富島産が絶滅の危機と知り、育て始めた「粟」。失敗を繰り返しながら、ついに島の最大の祭事「種子取祭」に献上するまでに。ちなみに「1度目は、雑草と間違えて抜いてしまったんですよ」と小山さん(笑)!


リゾート施設のスタッフが、その島民のおじぃから直接畑仕事を教わり、継承していこうとしている畑の文化。島の伝統的なお祭りに献上する粟であったり、この冬のリゾートでスタートする料理コンセプト「島テロワール」メニューの食事に繋がっていたりと、いろいろな要素で互いに協力しあう「共存共栄」のあり方は、本当に新鮮!  

実は、1度目に訪れた時は、偶然、話しこんだ島民の方に「今度、星のやができるんだよ。この島はどうなってしまうんだろうね~」と、どちらかというと不安や不満を訴えるネガティブな意見を聞いていたんです。ところが、今回の取材では、スタッフと一緒に集落を歩いていると、島民の方がフレンドリーに話しかけてくるし、「本当に島民の一員のように働かれているのだなぁ」と。島民としっかりコミュニケーションをとりながら、互いの境界線をどんどん曖昧にし、自然に溶け合おうとしている現在の光景を目の当たりにし、感慨深いものがありました。

この地方活性のあり方こそ、経済成長がストップし、疲弊している日本が再び元気になる近道なのではないか! 大げさながらそんなことを思ってしまった次第です。

 
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