ナラ・カミーチェのブラウスを着て写る大学生の私。1994年頃。

日本のプリンセスのご結婚。母校である学習院女子中・高等科の先生の会見、学校行事のエピソードなどをテレビで懐かしく拝見する。数年ごとに訪れる、慶びのひと時です。

今回、絢子さまのご婚約発表の際には、それに加えて意外な事実と向き合うこととなりました。

1993年の春、開設後約半年の国境なき医師団日本事務局で、学生ボランティアとして活動を始めた私。程なくして、同じくボランティアとなった主婦の守谷季美枝さんと出会います。小学校低学年の坊ちゃんがお一人いらっしゃるとのことでした。家族でのフランス滞在という共通の経験からも親しみを抱き、以来、週一、二回のペースでご一緒しておりました。微笑みを絶やさず、前向きで、キビキビと立ち働かれる方でした。事務局でパーティーがあった際に、お手製のタラモサラダを持って来て下さったことなども覚えています。冒頭の二枚の写真は、国境なき医師団の関係者が駐日フランス大使公邸に招かれた時のもので、左の写真に季美枝さんのお姿もありました。

ご婚約の報道に接し、お相手はあの季美枝さんのご子息なのだと分かった直後、既に他界されていることを初めて知ります。

まだご存命でいらしたら、ご結婚にまつわる諸々の事をテキパキと、そして優雅になさっただろう。またお目にかかれたら、近況を報告し合えただろう。テレビに映る慧さんの中にお母様の面影を見ながら、私は色々と考えていました。

NPO「国境なき子どもたち」の2014年度の活動報告書に、季美枝さんが添えたお手紙というのを、同団体のホームページで見つけました。そして次の一文に、季美枝さんの子育てや国際協力に対する姿勢が現れていると、しみじみ思いました。「子どもの教育には時間と費用、そしてたっぷりの愛情が必要なのは日本だけではないことを、皆さまは良くご存知のことと思います。」

大学生だった私の憧れは、フルタイムで働き続ける国連職員でした。当時の慧さんと同じくらいの年の息子を育てる今、むしろ季美枝さんのような方こそリアルなロールモデルなのだと感じます。

いつでも会えると思って先延ばしにしていると、会えなくなることもあるのですね。社会的弱者のための活動を通じた、素晴らしい方たちとの出会いに感謝する機会ともなりました。