写真:AP/アフロ

「俺の瞳は今、大きく見開かれた。自分が信じてもいないメッセージを広めさせられていたことに気がついたんだ」

「政治からは距離を置いて、クリエイティヴなことに全力で集中しようと思う」

10月30日、アメリカ中のツイッター民が我が目を疑った。同じ月の11日、ホワイトハウスを表敬訪問して、ドナルド・トランプ大統領とイチャイチャしていたばかりのラッパーのカニエ・ウェストが「政治離れ」宣言を行なったのだ。

 

そもそもラッパーといえば民主党支持。共和党の政治家、特に排外主義的な言動を繰り返すトランプはディスの対象でしかない。しかしカニエは、トランプが大統領選に出馬した頃から彼に肩入れし(投票自体はしなかったらしい)、「父親のようだ」(なぜオレンジ色の肌をした人を父親と思うのだろうか)と賛美し、MAGA帽子を嬉々として被って同業者から顰蹙を買っていたのだから、このツイートには驚くしかない。

はたしてこれはカニエの改心なのだろうか? 断じて違う。彼のキャリアを振り返ってみれば分かる。カニエがデビューしたのはハードコア・ラップ(ヒップホップに詳しくない人のために乱暴に解説すると、シンプルなビートの上でラッパーがいかに自分がヤバイかを凄むラップ音楽のこと)の全盛期だった。しかし彼はカラフルなサウンドと「カレッジ中退」という自虐ネタをシーンに持ち込んで「個性的」と絶賛された。「ラッパーは歌わない。歌うのなんて格好悪い」という常識に対しては、オートチューンで加工したロボット声で歌ってみせて「革命児」と呼ばれた。つまり彼の栄光は、流行や常識に逆張りし続けることで築きあげたものなのだ。

こうした逆張り路線の行き着いた先が、民主党支持者がほぼ全員のラッパーの常識に逆らったトランプ支持だったのだ。しかしこれはアフリカ系の彼にとって自己否定である。世間からは単なる「痛い人」扱いされて、賞賛は得られなかったのだった。
では、カニエはこの失敗に学んで逆張りを止めたのだろうか。そんなはずはない。今回の行動は宿敵テイラー・スウィフトの逆張りにちがいないのだ。

2009年のMTVビデオ・ミュージック・アワード(VMA)で最優秀女性ミュージックビデオ賞の授賞スピーチをしていたテイラーからカニエがマイクを奪い取り、「この賞はビヨンセが貰うべきだろ」と言ってスピーチをぶち壊しにして以来、因縁の関係にあるテイラーは、テネシー州の上院議員選挙でLGBTQの権利を支援する立場から、民主党候補を支持することを10月7日にインスタグラムで表明した。これまでテイラーは政治的な発言をすることを避けていたので、この投稿は大きな評判を呼んだ。

「保守的なリスナーが多い(つまり共和党支持者が多い)カントリー音楽出身なのに勇気ある行動だ」メディアはテイラーに賞賛の声を送った。それを言うなら、同じカントリー出身のマイリー・サイラスは2016年の大統領選のとき、沈黙を守るテイラーと対象的にヒラリー・クリントンを全力で応援していたわけだけど、そこはテイラーとマイリーの人徳の差なのだろう。

さぞカニエは面白くなかったはずだ。そこで彼は思いついたのだ。テイラーが政治的になるなら、俺は非政治的になってみせると。というわけで、テイラー・スウィフトにはもっともっと政治的になってほしい。そうすればカニエがますます音楽作りに精進するだろうから。

文筆家 長谷川 町蔵
1968年生まれ。東京都町田市出身。アメリカの映画や音楽の紹介、小説執筆まで色々やっているライター。著書に『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』洋泉社)、『聴くシネマ×観るロック』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、共著に『ヤング・アダルトU.S.A.』(DU BOOKS)、『文化系のためのヒップホップ入門12』(アルテスパブリッシング)など。

構成/榎本明日香、片岡千晶(編集部)

 

著者一覧
 

映画ライター 細谷 美香
1972年生まれ。情報誌の編集者を経て、フリーライターに。『Marisol』(集英社)『大人のおしゃれ手帖』(宝島社)をはじめとする女性誌や毎日新聞などを中心に、映画紹介やインタビューを担当しています。

ライター 横川 良明
1983年生まれ。大阪府出身。テレビドラマから映画、演劇までエンタメに関するインタビュー、コラムを幅広く手がける。人生で最も強く影響を受けた作品は、テレビドラマ『未成年』。

ライター 須永 貴子
2019年の年女。群馬で生まれ育ち、大学進学を機に上京。いくつかの職を転々とした後にライターとなり、俳優、アイドル、芸人、スタッフなどへのインタビューや作品レビューなどを執筆して早20年。近年はホラーやミステリー、サスペンスを偏愛する傾向にあり。

メディアジャーナリスト 長谷川 朋子
1975年生まれ。国内外のドラマ、バラエティー、ドキュメンタリー番組制作事情を解説する記事多数執筆。カンヌのテレビ見本市に年2回10年ほど足しげく通いつつ、ふだんは猫と娘とひっそり暮らしてます。