水道事業の民営化を可能にする改正水道法が国会で可決、成立したことで、水道の安全性が話題となっています。世の中では「民営化されると水の安全が脅かされる」といった話で持ちきりなのですが、問題の本質は民営化の是非ではありません。

このコラムは改正水道法について議論することが目的ではないので詳細は省きますが、改正水道法が成立した背景となっているのは、このままでは日本の水道事業を維持することが困難になるという危機感です。
安全な水道を維持するためには、一定のコストがかかりますが、地方を中心に人口の減少が進み、水道事業の収支が悪化しています。皮肉なことですが、最近は社会の省エネ化が進み、1人あたりの水消費量が大きく減ったことがさらに状況を悪くしています。

 

自治体の中には、予算が捻出できず、古い水道管を更新せずに使っているところもあり、このままでは水道事業が立ち行かなくなってしまいます。お役所仕事で効率が悪いという側面は確かにありますが、それ以上に水道事業を取り巻く環境が悪化しているという現実があることを忘れてはなりません。

こうした事態に対応するため、水道の広域連携や民営化など、運営方法の変更に対処できるようにするというのがこの法律の趣旨です。筆者はむやみに民営化することには反対する立場ですが、民営化されると危険で、公営であれば大丈夫という話にスリ替えてしまうと、問題の本質を見誤ります。

要するに、どのような運営方法であれ、人口が減る社会においては、相応のコストをかけない限り、安全な水道を維持するのは困難であり、私たちはどこまでそのコストを負担できるのかという話なのです。これは水道だけの話ではなく、食全般についても同じことが言えるでしょう。

読者の皆さんは、日本の食材は品質が高く、安心して口にできるというイメージを持っていると思います。実際、その通りだったのですが、最近は必ずしもそうとは言い切れなくなってきました。日本の食材が、国際的な食材の安全基準を満たさず、国際市場で流通できないという事態が少なからず発生しているのです。

近年、国際市場で流通される食材についてGAP(農業生産管理工程)認証の取得を義務付けるケースが増えてきました。これは、食品安全、環境保全、労働安全など、社会の持続可能性を確保するための枠組みで、2020年に開催される東京オリンピックにおいても選手村で提供される食材にはGAP認証の取得が不可欠となっています。

ところが日本の食材の中には、この基準を取得していないものが多く、東京オリンピックでは、開催地である日本の食材が提供できなくなる可能性も指摘されています。GAP認証を得るためには、労務管理なども含めてかなりの管理コストがかかりますから、当然のことながらこれは食材の価格に影響を及ぼします。

 

品質が高いと言われていた日本の食材がなぜGAP認証を取れないのかというと、安全や品質というものを「見える形」で管理できていないからです。

これは日本社会全般に言えることですが、日本では、同じ価値観を持った人が、あうんの呼吸ですりあわせをしながら、仕事を進めてきました。したがって、生産されたモノについても、明示的に安全性などについて外部に説明する必要がなかったわけです。

しかしグローバル化が進む今の時代においては、分かる人だけに分かればよいという考え方は通用しません。明確なルールに基づき、明示的な形で仕事のプロセスや品質を管理し、外部に説明する必要があります。当然、そこにはコストがかかりますが、これをうまく付加価値に転換できなければ成熟型経済は回っていきません。

こうした価値がどこにあるのかを最終的に決めるのは生産者ではなく、わたしたち消費者です。消費者が価値の高いモノには高い値段を付けるという経済行為を行わない限り、付加価値は市場では認定されないのです。

日本ではモノやサービスの価値を無視して徹底的に買い叩くか、逆に生産者やサービス提供者に過剰に遠慮して、法外な値段を無条件で受け入れるかのどちらかというケースが多く、消費者の心理は両極端です。

安いモノは品質が低く、高いモノは品質が高いというのは一般常識ですが、品質と価格は必ずしも比例しません。価格が2倍になっても品質は1.5倍程度にしかならないのが普通であり、無制限に品質を望めば、到底、買えない値段になりますから、ある程度のところで価格は落ち着くことになります。

これがいわゆる市場メカニズムですが、このメカニズムの主役となるのは、事業者でも政府でもなく、消費者であるということを忘れてはなりません。
わたしたちは食の安全をどこまで望むのか、そのためには、いくらまで支出できるのか、もう一度考え直した方がよいでしょう。多くの人にこうした考え方が備わってくれば、水道の問題も食材の安全性の問題も、自然と最適な着地点が見つかるはずです。