昨今、急速に浸透しつつあるダイバーシティという考え方ですが、数年前には言葉すら知らなかったという人も多いはず。セッション登壇前の星加良司さんに、障害学の専門家、また全盲というハンディキャップを持つ当事者として、昨今のムーブメントをどう感じているのか率直な意見をお聞きしました。

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星加良司 東京大学 大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター 准教授。1975年愛媛県生まれ。5歳のときに失明し全盲となる。専門は社会学、障害学。著書に『障害とは何か:ディスアビリティの社会理論に向けて』(生活書院)、共著に『対立を乗り越える心の実践 障害者差別にどのように向き合うか?』(大学出版部協会)など。


“ショーウインドウ型”ダイバーシティの危うさ


「ダイバーシティについてどれだけ私に当事者性があるかというと、実は微妙なんです。ダイバーシティの主な守備範囲は女性の活躍や外国人、LGBT、また会社組織の中でいえば家族の介護を抱えている社員など。一方で障害分野はこれまでずっと、それらとは別の文脈で考えられてきたものなんです」

これは日本だけではなく、ダイバーシティ研究が進むアメリカなどでも同じなのだとか。近年になりようやくその枠内で扱われるようになったものの、立ち位置はまだまだ隅っこだといいます。

「その上でいうと、ここ数年のダイバーシティの盛り上がりについては少し警戒感を持って見ています。もちろんこうしたテーマに光が当たりはじめたこと自体は、基本的に歓迎です。ただその取り上げられ方やイメージの流通の仕方には注意が必要だし、何かしらの副作用をもたらしかねないなと。

この流行を、同僚の研究者たちとは『ショーウインドウ型のダイバーシティ推進』なんて言っています。つまり、組織のブランディングのいち手段として使われているようなケースが出てきているということ。ダイバーシティ推進を図るうえでのモチベーションになっているならそれもいいのですが、ただ一方で、ダイバーシティといいながら実は“組織にとって望ましいイメージ”を具現化できる人だけが選別されたり、そのようなイメージに仕向けるといったことも起きはじめている。また組織の求めに乗れなかった人たちは除外され、結局は排除されてしまう。また乗れた人・乗れなかった人というように、マイノリティの中に新たな分断や階層が作られる原因にもなっています」

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ある種の流行として盛り上がることにこういった負の一面もあることは、私たちマジョリティの側こそしっかりと自覚しておくべきかもしれません。真のダイバーシティがあるべき形で推進されるため、またこの盛り上がりを一時的なもので終わらせないために、私たちが本当にすべきことは何なのでしょうか。


目を向けるべきは、他者よりも自分自身


「よくいわれる“自分以外の人々をどう受け入れるか”という思考から入るべきではないと思う。それよりも、これまでなぜ彼らには居場所がなかったのか、彼らにとって居心地のいい組織でいられているのかと、足元を見直す視点が一番重要。まずは他者ではなく自分に目を向けることですね」

ダイバーシティが目指すのは“多様な人々が受け入れられた社会”と、一般には解釈されているはず。しかし最新の研究においては「ただ受け入れるだけでは意味がない」というのが半ば常識となりつつあるそうです。そして今重要とされているのは、多様な存在を、既存の社会組織を変えるための“新たな視点”として生かすこと。

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「今ある社会というのはすべてがマジョリティによって、マジョリティがもっとも生きやすいようデザインされています。しかし当人たちはそのことになかなか気付けません。その社会ではうまくいかない人々、ある意味ノイズのような存在が現れて初めて、これまでのやり方には偏りがあると気付く。そして気付くことから既存組織の非効率な部分や隠れていた可能性が見え、新しいあり方への模索が始まるんです。さらに、既存のやり方を変えることに価値がある、といったマインドを持つことも大切。ダイバーシティ推進にはこういった視点や意識が社会の中に浸透し、その取り組みが息長く続くことが重要なのだと思います」


写真/塩谷哲平
文/山崎恵
構成/柳田啓輔