エッセイスト酒井順子さんによる書き下ろし新連載がスタート! 『負け犬の遠吠え』から15年。50代を迎えた酒井順子さんが、いま気になること、これからのこと……強くも弱くもある50代についてを掘り下げます。第2火曜日と第4火曜日の月2回更新。どうぞお楽しみに。
「人生50年」だった頃と「人生100年」時代の50代
夏目漱石は、満49歳で亡くなりました。日本を代表する文豪が、50歳にならずして亡くなっているという事実に、私は驚きます。そして既に50を数歳過ぎている自分の年齢に気づき、「まさに、馬齢……」などと思う。そのような言い方をしたら、馬にも申し訳ないというほどに。
漱石が生きたのは、「人生50年」の時代でした。慶応3年に生まれ、大正5年に他界している漱石ですが、たとえば明治天皇は59歳で、大正天皇は47歳で亡くなっています。そんな時代に49歳で亡くなっても、「早すぎる」という感覚はあまり無かったのではないか。
処女小説『我輩は猫である』を書いてから、その死によって未完で終わった 『明暗』まで、小説家としての活動期間は、わずか12年。その間に書いた小説の多くは、今でも文庫で読むことができます。
夏目漱石と自分を比べるつもりなのか、という話は置いておくとして、自分のキャリアを振り返ってみれば、初めての本を出してからもう、30年。その後、恥ずかしいほどたくさん本を出していますが、後世に残るものはなかろう。
人生100年時代の今、50代として生きている自分を見てみますと、人生50年時代の50代と比べて、明らかに「薄い」のでした。若い頃から「人生100年」と意識していたわけではないけれど、ゴールがはるか彼方にあるということは、どこかで感じながら生きてきた私達。50年と100年ということで、単純に考えれば人間の一生は2倍に希釈されたわけですが、実感としてはもっと人生はサラサラになっている気が……。
たとえばあなたは、自分が「大人」であるという意識は、持っているでしょうか。もちろん、選挙で投票することはできるし、何なら立候補だってできるのです。振り袖を着た成人式はほとんど前世の記憶になりつつあるし、
「二度目の成人式でーす」
などと自虐をしてみせた40歳の頃の記憶も、もはや危うい。……という年齢にもかかわらず、自分の中に“非大人”の成分が意外とたっぷり混じっていると感じることが、ありはすまいか。
人の寿命がうんと延びたことは、世の中に様々な問題を起こしていると私は考えます。「いつまでも若くいなくては」とか「セックスレス生活がもう何年も」といった大人の女性が抱きがちな悩みも、突き詰めて考えてみると、寿命が長くなっていることと関係しているのです。
人生50年だった頃、女性達は40代で十分に、初老。「美しくありたい」といった欲求は過去のものとなり、そろそろ人生のまとめに入る年齢でした。しかし、寿命が延びてゴールがぐっと先に設定されたが故に、女性は「いつまでも若く美しく、そしてモテてもいたい」といった欲求に取り憑かれるようになったのです。
セックスレスにしても、そうでしょう。人生が50年なら、結婚生活はせいぜい30年。40になって初老意識が出てきたら、「セックスしてない……」などという思いからは卒業したことでしょう。対して結婚50年の金婚式を祝う夫婦が珍しくない今は、50歳になっても60歳になっても、セックスについて考え続けなくてはならないのです。
32歳で迎えた、私の「真の成人式」
そんな諸問題の中の一つに、「人がなかなか大人にならない」というものもあります。成人年齢が18歳になることが決まったようですが、その前は20歳が成人式の時代が長く続きました。私も20歳の時に振り袖を着ましたが、それは大人になる儀式と言うより、七五三の延長にあるコスプレイベントだったのではないでしょうか。我が親も、七五三感覚で私に振り袖を着せてくれたような気がするわけで、きれいなおべべを着た我が子が「大人」だとは思っていなかったのではないか。
その後、就職して社会人となった時も、大人になる好機であったとは思います。が、バブルという時代のせいもあってか「楽しく生きていればいいわけですよね?」という雰囲気に吞まれ、成人するタイミングを逸する。
長寿社会を生きる者にとって、「大人になった!」という真の実感を得るのは、30代のどこかなのではないかと、私は思います。それは結婚や出産の時なのかもしれないし、仕事で何かを成し遂げた時かもしれません。人が「子供」の世界から完全に抜けるには、20代では早すぎるのではないか。
20歳で振り袖を着るのは、仮の成人式。その後、人それぞれではあるものの、30代のどこかで、二度目の、そして真の成人式を迎える我々。ちなみに私の場合は、32歳が、そのタイミングでした。
割と長く付き合ってきた相手がいたところに違う相手が登場、「こっちの方がいいかも〜」と乗り換えてみたら、うまくいかずに自滅。……と言うと軽く聞こえますが、それまであまり悩みというものを知らずに生きていた私にとって、それは落とし穴にはまったような感覚でした。すったもんだの末に精神のバランスを崩し、
「もしかして、人生って大変なのかも!」
と初めて気づくという、個人的には衝撃的な体験だったのです。
仕事の面でも、その頃は転換期だったと思われます。それまでは、若者の世界観を楽しげに記すという芸風だったのが、30代にもなってその手のことばかり書いているのは、自分にとっても他人にとっても「痛い」。これからどうする自分、と思うように。
驚くほどに悶々とした気分が深まり、人生初の「食欲が無い」という状態に陥った私。表情はどんよりと曇り、気がつけば32歳は女の厄年。……ということで、近所の神社で厄払いもしてもらいましたっけ。
幸いにしてその後、精神状態は回復しました。誰とも交際していないので豊富にあった時間を利用して、興味がある分野の勉強を始め、仕事の面でも、それまでとは違う道に踏み出してみるように。後から考えてみれば、「あの時が、私にとっての成人式だったのだなぁ」と思うのです。
武士の時代、人は13歳くらいで元服をしていました。それと比べれば、32歳というのは遅すぎる目覚めです。
しかし武士は、いつ戦場で果てるともわからない身。平均寿命も、夏目漱石の時代よりもさらに短かったことでしょう。彼等は、早めに大人になっておかなくてはならなかったのです。
対して私は、昭和の末期、バブル前夜に20歳の仮成人式を迎え、個人的な真の成人式を迎えたのは、その12年後の平成10年。生まれてから32歳まで、ずっと平和な時代が続いていました。平成7年には地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災があったものの、自分が渦中にいたわけではない。また就職するまではバブルで景気もよく、その点でも危機感は無かったのです。
安定や安心は、人を子供のままにいさせてくれます。不安に不安定に不幸といった「不」の事態に見舞われた時、人はもがき、模索し、大人になっていく。平均寿命が延び続ける時代とはすなわち平和な時代であるわけで、私が32歳までとろりとしたぬるま湯の中で半眼で生きていたのも、自明のことなのかも……。
32歳で成人した後は、すっかり大人になった気持ちで30代、40代を生きてきた私。しかし50歳になってから湧いてきたのは、「本当に私、大人なのか?」という気持ちでした。この年になってもまだ、自分の中には「甘えたい」という気分がある。32歳で一皮剝けた気がしていたが、実はまだ剝ける皮があるような気がして、もぞもぞしてきたのです。
そんな今、感じているのは、
「もう一回、来るのかも」
ということなのでした。何が来るのかといえば、他でもありません、「三度目の成人式」が。
私の場合は、32歳の二度目の成人式まで、自分の中に「子供」の残滓がありました。自分が楽しく生きていくことができれば、それでOK。面倒なことは「オトナ」に任せておけばOK。……というように。二度目の成人式以降、たとえば「自分のためだけに生きていても、飽きてくるのだなぁ」とか、「自分の尻は自分で拭わなくては」といったことに気づくようになったのです。
そしてそれから、20年。50代となった今、また精神の蠕動のようなものを、私は感じるのでした。さらにもう一皮、剝けなくてはいけないのではないか、と。
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「三度目の成人式」後編(1月22日公開)に続きます。
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