エッセイスト酒井順子さんの書き下ろし新連載がスタート! 『負け犬の遠吠え』から15年。50代を迎えた酒井順子さんが今、感じているという「三度目の成人式」の気配。その心とは……。

「三度目の成人式」(前編)はこちら>


上沼恵美子さんへのイチャモンにみる“更年期”のあやふやさ
 

 50代のそれも前半というのは、特に女性にとって節目となる時期です。まずは何といっても、更年期のお年頃。年末、「M-1グランプリ」の審査員・上沼恵美子さんの審査へのイチャモンがネットにアップされた、ということが話題になっていましたが、炎上に油を注いだのが、その中で「更年期」という言葉が使用されたこと。
 しかし63歳の上沼恵美子さんは、おそらくもう更年期は卒業しているお年頃ではないか。もちろん、人によって長期間続くケースもあるものの、更年期と言われて響くのはアラフィフの年頃だろう、と思う。
 上沼さんを「更年期」とした男性芸人さんの、更年期に対する知識のあやふやさを、このエピソードは物語っています。中高年女性を揶揄する時は「更年期」と言っておけば効果的だろう、くらいの感覚でこの言葉は使用されている。特に男性にはよく知られていないのが、更年期の実態なのです。

 私もまさに、更年期世代。ホットフラッシュのようなわかりやすい現象はまだないのですが、周囲を見ていると、様々な事例が見られます。自分も、何か体調に不安があると、「これは更年期の一症状なのだろうか。それとも、もっと重大な病気なのだろうか」などと、不安にさいなまれる。……ということで、我々は肉体的に一つの節目を迎えているのです。


老人でも中年でもない50代というお年頃


 人生においても、この時期は様々なことがあります。まずは、親が要介護になったり病気になったり亡くなったりと、とにかく親が「頼ることができる存在」ではなくなり、完全に「こちらが面倒を見てあげる存在」となるのでした。

 私の場合、二親ともに既に他界し、親の介護をした経験がありません。親御さんのお世話が大変な友人からは、
「こんなことを言っちゃいけないのだろうけど……、でも正直言って、羨ましい」
 などと言われるのであり、その気持ちはよくわかる。
 私は、両親共に後期高齢者となった姿を見ていません。ですから親の老化というイメージがはっきりしないのですが、友人達は、介護の大変さと同時に、
「あのしっかりしていたお父さんが」
 とか、
「料理好きだったママが」
 といった寂しさも、抱えています。親子の力関係は、子供が成長するにつれ次第に逆転するものですが、逆転現象が終了するのが、50代なのです。

 子供がいる人の場合は、子供との関係性にも変化が生じてきます。すなわち子供が完全に自立して、自らの元から飛び立っていくのが、この頃。
 最近の親子はとにかく仲が良いので、子離れの苦悩を感じない親子は増えているのかもしれません。が、仲良し親子だからこそ、
「就職するので、家を出ます」
「結婚します」
 となった時の分断感は、強い模様。
 息子と恋人のように仲が良かった友人は、やはり息子に彼女ができた時、まるで失恋したかのように落ち込んでいました。彼女は、結婚歴が長い夫婦のほとんどがそうであるように、
「夫とセックスなんて何十年もしてないし、完全に仮面夫婦」
 と言い放つわけですが、その分、深く息子を愛していたのです。彼女ができたからといって怒るわけにもいかず、かといって息子や恋人の代替物となる韓流アイドルやジャニーズについては素人。行き場の無い愛を抱えて、彼女は彷徨ほうこうを続けるのです。

 親が自らの庇護下に入り、子供は庇護下から離れていく。……という家族の変化の他に、仕事の面でも、50代は節目です。会社員であれば、そろそろゴールが見えてきて、自分の立ち位置を意識するように。出世コースに乗る人はさらにガツガツいくかもしれませんが、そうでない人は、どのような着地をしたいか、また着地した後はどうするか、とイメージするようになるのでした。
 会社員ではない私もまた、仕事については、色々と考えるようになっています。老人でもない。かといって中年と自称するのも申し訳ない気分になるこのお年頃、どのようなものを書くべきか、などと。

 そうしてみますと、50代というのは、「若さ」と完全に訣別する年頃なのかもしれません。そう聞くと、
「ちょっと待って、まだ『若さ』を持ってるつもりだったわけ?」
 と驚かれる方は多いと思いますが、そうなんですよ。今の50代は、自分達の加齢に合わせて、「VERY」「STORY」「HERS」といった、中年向け女性誌が創刊されてきた世代。それらの雑誌は、中年にも若さとモテを、とハッパをかけ続けました。人生も100年続くのだとしたら、確かに早くから老け込んでいては長すぎる老後が待つばかり。若さって、ずっと持ち続けることができるのかもね〜。といったお目出度さを、40代はどこかで持っていました。
 しかし50歳になれば、
「あ、違う」
 と気づきます。生理は終わるし、いつまでも若くはいられないし、いつまでもモテもしない。全ては変わっていくのね。……というほとんど仏教的な無常感まで湧いてくるではありませんか。

 そうなった時、私は「ああ、もう一度、成人式が来るのだな」と、思ったのです。32歳で子供から卒業した私は、52歳の今、若者から卒業しようとしている。そのタイミングを「遅すぎる」と、嗤わば嗤え。もちろん泉下の夏目漱石も、呆れていることでしょう。しかしこれが、平成が終わらんとしている世における52歳の実感なのです。

 20歳の時の、仮の成人式。それは、成人式という名ではありましたが、三歳、七歳に次ぐ三度目の七五三でもありました。その後、32歳で迎えた二度目の成人式で本当に大人になったような気がしていたけれど、実はそうでなかった。私の中には甘えの気分や、若さに対するスケベ心がたっぷり残っていたのであって、そんな脂っこさが本当に抜けてくるのが、50代で迎える三度目の成人式なのではないでしょうか。

 人生が延々と続く今、成人式は一回では足りなくなりました。私の場合は32歳と52歳でしたが、人はそれぞれのタイミングで、何回かに分けて、さらには行きつ戻りつしながら、ちょこまかと成長していくのです。
 さらなる大人へ向けて脱皮前後の50代は、そんなわけで心身ともにガラスのように繊細な季節。だというのに、上の世代からも下の世代からも、頼りにはされても心配はされないこの年頃の懊悩を、これから探ってまいります。

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次回は2月12日公開予定です。

写真/Jens Kreuter on Unsplash