エッセイスト酒井順子さんによる書き下ろし新連載。『負け犬の遠吠え』から15年。50代を迎えた酒井順子さんが“さらなる大人へ向けて脱皮前後”の世代の懊悩を掘り下げます。美魔女ブームをはじめとした若見せへの底知れぬ欲求とその反動とは……。

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小泉今日子、近藤サトにみる「隠さない」選択【若見えバブル崩壊・後編】_img0
 


イタく見える人、堂々と老ける道を選べる人
 

 若見せに血道をあげる一方で、「イタくはならないように」ということも、我々は考えなくてはなりません。例えば片山さつきさんや稲田朋美さんなど、もっと世代が上の人の「若見せ」行為は、やはり「イタい」。上の世代を反面教師として、素顔っぽく見えるメイク、肌露出欲求をそのまま解放しないスカートの丈などを、私達は熟慮しました。「若く見られたいとかモテたいといった生々しい欲求は、確かに持っている、しかしその欲求をだだ漏れ状態にはしたくない」という感覚の我々世代をターゲットにした洋服ブランドも、次々と出てきました。

 しかし40代の頃、そんな風潮に少し疲れていたのは、事実です。皆がずっと綺麗でいるのは良いことなのだろうが、しかしゴールは一体、どこにあるのか。我々は、いつになったら安心して老けることができるのだろうか、と。
それは、バブル絶頂の頃の感覚と、少し似ていました。キラキラした世は楽しくもあるが、しかし物価は何でも高くてタクシーはなかなかつかまらないようなこの時代は、いったいいつまで続くのだろう、という。

 同世代の友人の中には、数は少ないながらも、堂々と老けている人もいました。その手の人は、
「もう、何しても痩せないのヨー」
 とニコニコしながら太りゆき、ギャザーたっぷりのロングスカートとか、貫頭衣かんとういのようなものを着ている。同じようにコロコロした夫がいて、子供達は明るい。……そんな友を見ると、「この人は、幸せだから安心して老けることができるに違いない。モテたいとかチヤホヤされたいといった煩悩から、完全に解放されているのだな」と思われ、彼女のことが眩しく見えた。

 「ではあなたも、そうすれば?」と言われたとて、できるものではありません。自分の中にはまだ生臭い煩悩がたっぷりと渦巻いていて、どれほど楽であっても、貫頭衣を着る勇気はありませんでした。

 しかしここに来てようやく、解放の糸口が見えてきました。つまり、
「もう無理して若く見せなくてもいいじゃないの」
 という気運が、感じられるのです。


小泉今日子さんと近藤サトさんの「あっ」と「いいなぁ」


 その動きは、小泉今日子さんあたりから始まったように思います。かねてインタビューなどでも、加齢をそのまま受け入れていく、といった発言をされていた小泉さんは、私と同い年。かつての化粧品のコマーシャルにおいても、
「実は笑いジワ、気に入ってます」
 とか、
「小泉今日子、48歳。年齢は隠しませんが、正直、シミやくすみは隠したい」
 と、おっしゃっていました。 

 それは、従来の女優さんには無い姿勢でした。日本の女優さんは、中年になってもシワやシミが「存在しない」ということにして、過ごしていました。のみならず、熟女の女優さん達においては、年齢すら「存在しない」ということになっていたのです。
 対して小泉さんは、シワやシミの存在をコマーシャルにおいて認め、笑いジワに対しては「気に入っている」とまで。
かと言って、老化現象は全て放置という投げやりな姿勢ではありません。「隠したい」という正直な欲求も、吐露しています。

 年齢に対しても、小泉さんは正直に語っています。48歳というのはそれなりに重みのある年齢ですが、さらりと口にしているのですから。
こういった姿勢は、同世代の女性をほっとさせたことでしょう。年をとったという事実を全方位的に隠さねばならない、と気を張っていた人は、「嘘を重ねなくてもいいのね」と、思ったのではないか。
 小泉さんは、笑いジワを隠さなくても十分に美しいのです。しかし、かつての憧れのアイドルだった人も、シミやくすみを「隠したい」と思っていると知ることによって、市井のアラフィフは解放される部分があったのではないか。

 化粧は、若い頃はゼロからプラスの方向に持っていく作業でしたが、中年期以降は、マイナスからゼロに近づける作業となりました。若者にとっての化粧は「盛る」ための行為であり、中年以降の女性にとっての化粧は「隠す」ための行為なのです。

 シワやシミといった顔面のみならず、白髪を隠したり、ブラジャーからはみ出る背中の肉を隠したり、貼ってある湿布を隠したりと、隠さなくてはならないものはあちこちに。若い頃は身支度があっという間に終わることが自慢だった私も、今となっては色々な部位を隠すことに時間を取られるようになりました。

 整形手術などは、「隠したい」という欲求が強い人が手を出すものなのだと思います。きっちり隠さないと気が済まない几帳面な人ほどそちらの道を選ぶのでしょうが、一方では隠すことに疲れて、ありのままで行く、と宣言する人も。

 その方面で話題になったのが、白髪を染めないというグレイヘア宣言をした、近藤サトさんです。インタビューを読んでいたら、東日本大震災後、防災用品の中に白髪染めを入れようとしている自分の行為に違和感を覚え、「年齢に抗わない」ことにしよう、と思ったのだそう。

 近藤サトさんは、私より2歳年下。やはりBB(ビフォア・バブル)世代です。バブル期のフジテレビアナウンサーですから、若さによる既得権益をうんと得ていたものと思われます。
 そんな彼女が、“アンチ・アンチエイジング”宣言をされたことも、私達にとっては衝撃的でした。特に白髪というのは目立ちますから、彼女のグレイヘアの写真を見た時は「あっ」という感じでもあった。
 しかし次の瞬間、「いいなぁ」とも思ったのです。白髪というのは、量が多いと隠すのが最も面倒なもの。私も、美容院に行く前の時期などは、合わせ鏡で必死に、ヘアマスカラのようなものを塗り込めている。この作業がなくなったら、楽だろうなぁ……。

 サトさんも、全てをありのままにさらけ出しているわけではありますまい。シミは隠しているかもしれないし、デトックス注射を打っているのかもしれない。しかし、最も手がかかっていた白髪を隠さないと決めた時、様々な余裕が、生まれたのではないか。

 気がつくと最近、自分の周囲でも、グレイヘアにしている人をたまに見かけるようになりました。私はその勇気が出ないので隠し続けていますが、彼女達を見ると「潔い」と思うもの。

 時の経過に抗い続け、「隠す」という作業に多くの時間を割き続ける人生もどうなのかと、やっと我々世代は思うようになってきたのでしょう。私達が長く牽引し続けてしまった「若見せバブル」が、やっとしぼんできたのです。
とはいえまだまだ、この先の人生は長い。
 何を隠して何を隠さないのかという煩悶は、これからも続いていくのだと思います。

写真/shutterstock