エッセイスト酒井順子さんによる書き下ろし新連載。『負け犬の遠吠え』から15年。50代を迎えた酒井順子さんが“さらなる大人へ向けて脱皮前後”の世代の懊悩を掘り下げます。


「ギンギン」「イケイケ」のBB世代と「さらさら」「まったり」なAB世代
 

 最近、同世代の女性を見ていて思うのは、
 「若見せバブルが弾けつつある」
 ということです。年を取っても、できるだけ若く見られたい、見せねばならぬ……そんな気概とともに女性達は平成を生きてきましたが、平成の終了とほぼ時を同じくして、「もう勘弁して」という空気が流れるようになってきたのではないか。

 時を遡って考えてみましょう。現時点で52歳の私は、1966年、昭和で言うなら41年に生を受けた者です。ちなみにこの年は丙午ひのえうま で、出生率がガクッと下がった年でもある。
 そんな私は、1989年に大学を卒業し、就職しました。この年の初めに昭和天皇は崩御。昭和64年は7日間で終了し、平成という時代が始まります。

  昭和天皇崩御の頃、日本はかつてない好景気の中にありました。その時代は、後にバブルと呼ばれることになるわけで、私などもその好景気の影響で、さほど苦労することなく就職できたというクチ。

 

 就職して少し時が経つと、我が国の経済状況は激変しました。それは後にバブル崩壊と言われる現象であって、以降、日本は長い不況のトンネルの中に。就職活動も、地を這うようなつらいものになっていきました。

 就職活動を、バブル只中(BB=ビフォア・バブル崩壊)にしたか、バブル崩壊後(AB=アフター・バブル崩壊)にしたかによって、人の感覚は大きく異なります。私を含めて今50代の人達は、比較的楽に就職をすることができた、BB世代。対して今、40代以下のAB世代には、団塊ジュニア、氷河期世代と言われる人が含まれます。

 BBとABは、かなり気質が違うと言われています。BBは「ギンギン」「イケイケ」なのに対して、ABは「さらさら」「まったり」。BBは、消費の楽しさを知っているので、日本の景気が悪くなってからも生き生きと消費を続けましたが、ABは、
「デパートとかって、行かないですー」
「趣味は貯金です」
 と、消費に積極的ではない。

 かくして、バブル崩壊後も30年にわたって消費の牽引役を担い続けてきたBBなのですが、私達は消費以外にも牽引しているものがあって、それが「アンチ・エイジング」思想です。我々より上の世代は、結婚して子供を産めば、粛々とおばさんになっていったもの。対してバブル世代は、ちやほやされる快感を知っているため、「ずっとこのままでいたい」と、おばさんとなることに必死に抵抗するようになったのです。

 イケイケ精神が身に染みついている我々は、20代後半になろうと30代になろうと、自分がずっと「若者」の領域にいるものと思い込んでいました。前回も書きましたが、私は32歳まで「子供」の残滓を引きずり、50代の今になってやっと「若者」の土俵から引退しようとしています。当然、30代の頃は何の疑問も無く、若者気分でおりました。

 が、そこに容赦なく襲いかかってくるのは、肉体上の経年変化です。肌には謎の色素沈着が見られ(シミです)、なぜか、手持ちの洋服がきつくなってもくる(肥満です)。

 こと自分においては、若さが永遠に保たれると思っていたのがそうではないことを知った時に私達は、オーバーに言うならば精神と肉体の乖離状態に陥りました。精神的には大人になっていないのに、肉体だけ大人とはこれいかに、と。
 その時、私達は肉体の声に従うことを拒否しました。「肉体の方がどうかしているのだ」と信じ込み、様々な策を弄して老化現象と戦うことに。


「VERY」「STORY」「éclat」……我々の前にはいつも道が拓かれてきた


 その動きを、メディアも見過ごしませんでした。1995年には、30代向けのファッション誌「VERY」が創刊されます。これは、「JJ」「CanCam」といった女子大生向け雑誌の読者OGをターゲットにした雑誌。その創刊は私が29歳の時だったのであり、まさに私のようなBB世代に向けての創刊だったことがわかります。

 それまでであれば、30代にもなれば女は皆、結婚して専業主婦となり、子供の一人や二人は産んでいました。彼女達が読んでいたのは、「主婦の友」等の主婦向け雑誌、もしくはせいぜい「オレンジページ」や「レタスクラブ」。つまり「若者の範疇から外れた女は、家庭をうまく切り盛りできれば満足する」という観点の元に作られた雑誌です。

 しかし私達は30代になっても、家庭の切り盛りだけでは満足できなくなっていました。その前に、30代だからといって結婚している訳ではなくなったのであり、既婚未婚、子持ち子無し、働いているか否か。……と、30代女性の生き方が多様化していったのです。

 
 様々な生き方をしながらも、我々の間で共通していたのは、「女として引退したくない」という願望でした。若い頃から、「モテてなんぼ」「チヤホヤ大好き」と生きてきた、我々。バブルの荒波で社会人としての産湯をつかったからこそ、30になろうと結婚をしようと、ずっとキラキラと楽しく過ごすことができるものだと信じていました。「VERY」のような、引退しようとしない女の欲求をすくいとった雑誌が登場したのは、だからこそ。

 「奥さん」や「お母さん」、ましてや「おばさん」ではない、大人の「女」向け中年女性誌は、私達世代が年をとって行くと共に、次々と創刊されるようになります。私が36歳の時は、30代後半から40代に向けた「STORY」が登場。40歳になると、50代向けの「éclat」や「HERS」。……と、モーセが海を割っていくかのように、我々の前には女として生き続けるための道が拓かれていったのです。

  そんな中年女性誌群は、
「老けるな!」
  と、盛んに読者を鼓舞しました。楽しく生きたいのであれば、老化は大敵。老化は怠惰の証でもあって、老化現象を放置していると、その人間性まで否定されるかのようでもありました。

 加齢に抗うアンチエイジングは、一大産業となります。シワにはこれ、シミにはあれ。……といった化粧品の数々や、プチ整形にデトックスといった手法も、次々に開発されていきました。BB世代は、アンチエイジングのために、どしどし消費をするように。
 
 しかしそれは我々にとって、苦痛ではありませんでした。若さを「買う」ことができるなんて、夢があるじゃないの。……くらいの感覚で、生き生きとアンチエイジング活動を行っていたのです。

 
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