「これから」の社会がどうなっていくのか、100年時代を生き抜く私たちは、どう向き合っていくのか。思考の羅針盤ともなる「教養」を、講談社のウェブメディア 現代ビジネスの記事から毎回ピックアップしていきます。
2019年は”世界大乱”が始まるーー。長年、国際情勢を観察し続けてきた著者はそう警笛を鳴らします。日本をめぐる情勢は日々刻々と、残念ながらあまりよくないほうへ向かっているように感じている人は多いでしょう。その中で本当に避けなければならない危険とは、いったいどこにあるのでしょうか。

※この記事は、2019年1月1日に「現代ビジネス」にて公開された記事を転載したものです。
一部の記述や表現につきましては、現在の状況とは異なる場合があります。

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歴史は繰り返す


2019年、「世界大乱を告げる亥年」が幕を開けた――。

本来なら寿(ことほ)ぐべき正月に、あまり楽観的とは言えない世界の近未来について語ることを、ご寛恕いただきたい。

「歴史は繰り返す」――人類の歴史は、戦争と混乱の歴史である。なぜわれわれは戦争と混乱を繰り返すのかを鑑みるに、それは人間の持つDNAに関係しているとしか思えない。

ホモ・サピエンスは、46億年もの歴史を有する地球上に棲息する最新系の生物であるため、46億年分の生命体の進化が蓄積したDNAを備えている。それは漠然と「生存本能」と呼ばれているが、これが容易に「闘争本能」に成り変わるのだ。

「自己が生き延びるためには周囲の他者を踏み倒さねばならない」と、「内なる声」が体内にこだまし、個人の集合体である国家も、同様に順応するというわけだ。

19世紀のロシアの作家、フョードル・ドストエフスキーは、遺作となった『カラマーゾフの兄弟』で、ゾシマ長老にこう言わせている。

「この地上で最後の最後の二人になるまで人間は互いに殺し合いをつづけるに違いない。それに、この最後の二人にしてもおのれの傲慢さから互いに相手をなだめることができず、最後の一人が相手を殺し、やがては自分も滅び去ることだろう」(新潮文庫刊同書より引用)

〔PHOTO〕gettyimages

一方、「そのような悲観論は過去のものでしょう」と、楽観論を説く論者も、昨年現れた。若いユダヤ人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリで、世界的ベストセラーになった著書『ホモ・デウス』で、こう述べている。

「20世紀の中国でも、中世のインドでも、古代のエジプトでも、人々は同じ3つの問題で頭がいっぱいだった。すなわち、飢饉と疫病と戦争で、これらがつねに、取り組むべきことのリストの上位を占めていた。(中略)

これまでの世代は、戦争が一時的に行われていない状態を平和と考えていた。だが今日、私たちは、戦争が起こりそうもない状態を平和と捉えている。(中略)

2010年には肥満とその関連病でおよそ300万人が亡くなったのに対して、テロリストに殺害された人は、世界で7697人で、そのほとんどが開発途上国の人だ。平均的なアメリカ人やヨーロッパ人にとっては、アルカイダよりもコカ・コーラのほうがはるかに深刻な脅威なのだ。(中略)

前例のない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い」(河出書房新社刊同書より引用)

 

ドストエフスキーの悲観論と、ハラリの楽観論は対照的だ。私の個人的な見解を言えば、21世紀の人類は、飢饉と疫病は克服したかもしれないが、戦争は克服していない。やはり人間の本能として、「歴史は繰り返す」リスクを常に孕んでいる。

いまからちょうど100年前の1919年正月、4年にわたった第一次世界大戦が、50日前にようやく終結し、世界は安堵に満ちていた。第1条から第26条で国際連盟設立を謳ったベルサイユ条約が締結されたのは、同年6月のことだ。日本でも、自由闊達な「大正デモクラシー」が真っ盛りだった。

だがそれから10年、アメリカ発の世界恐慌が起こり、20年後には第二次世界大戦が勃発したのだ。いずれも、1919年の人々は、想像だにしなかったことだろう。