マウンティングの原理をつまびらかにし、世の女子を虜にしたベストセラー『女子の人間関係』から5年。
精力的に著作活動を続ける精神科医・水島広子さんが、改めて「女性の生きづらさ」を解消するすべを語ります。
組織の指示で動く男性 VS. 個人的“納得感”で動く女性
私は32歳のときから5年間、衆議院議員を務めました。「女性公募」に応じて候補者になったのですが、生粋の江戸っ子で(新宿区、世田谷区、港区が地縁)東京の選挙区を希望したのに、「元祖落下傘候補」で、栃木1区という選挙区を与えられました。要は、あまりにも勝ち目のない保守的な選挙区なので、男性候補で手を挙げる人がおらず、「あいていた」ということのようです。
私の味方陣営であるはずの人たちすら、当選するわけなどないと思っていました。
しかし実際に、私は小選挙区で当選しました。もちろん男性もたくさん応援してくれたのですが、そのときに実感したのが、女性の草の根活動の力でした。
保守的な土地ですから、表立って「女性の権利」を訴えている人はほとんどいません。みんな、家庭や地域を中心に生きている普通の女性たちです。
でも、政治の中で子どもや女性が置き去りにされているという意識は持っていて、たまたま私という道具が来たのです。
実は私はそれまで、女性のことをあまり好きではありませんでした(もちろん、患者さんや、とても親しい女性の友人は別です)。つきあいが面倒くさいし、足を引っ張られたりするし。友人は圧倒的に男性の方が多かったです。私自身がさっぱりした性格なので、男性の方がつきあいやすかったのです。
しかし、栃木における政治活動で、女性を見る私の目はがらりと変わりました。
メンツにこだわりたがる男性とは違って、女性は納得さえすれば、できるだけのことをやってくれるのです。
もちろんすべての男性がメンツで動くわけではないのですが、圧倒的に女性の方が、「隠れてでも応援してくれる」のです。というよりも、保守的な土地では、隠れないと応援できないので、自ずと隠れて応援することになるのですが。
このことはいろいろな角度から考察できると思います。
ただ、難しい選挙に勝たなければならない私が直感的に悟ったのは、男性は組織の指示で動くけれども、女性は本人を見て納得しないと動かない、ということでした。
そこで、男性向けには職場・労組巡り、女性向けには個人的に会って私を知ってもらう、ということを大きな戦略にしました。この戦略は当たっていたと思います。
男性の方が判断力がある、と一般に思われているかもしれませんが、相手を見て自分の目で判断する、という意味では、女性の判断力は決して劣ったものではありません。「生理的嫌悪感」などという言葉は主に女性が使用しますが、それほど、「相手を見る」のだと思います。
利益誘導や汚職などについても、女性は潔癖に拒絶する一方、男性は「必要悪」のようにとらえがちのように思います(あくまでもそういう傾向にある、というだけの話で、正反対の男女もたくさんいます)。
男性は、「結果が出せるなら、人間性はある程度仕方ない」という見方をすることも多いようですが、女性は、「人間として信頼できるか」をとても大切にするように思います。そうやって選んでもらった結果が、私の奇跡的な小選挙区当選に結実したのですから。
もちろん、男性にも大いに応援していただきましたので、得票結果を見ると、半々です。そのうちの一部は、「かあちゃん(この言葉、栃木に移った当時の私は母親のことかと思ったのですが、妻のことなのですね)が水島さんのファンだから投票させられた」という男性です。
そういう話を聞くと、本当に心がなごみます。
尻に敷かれている愛らしい男性、しっかりと家庭を掌握(しょう あく)している女性。でも表では、保守的な土地柄のルールとして夫を立てている。
そういう組み合わせも、私が好きな「女性の力」の一つです。
もちろんずっとそのままでよいと思っているわけではありませんが、現在の限界を考えたときには、したたかに、しかも温かくやっているな、と心強く思うのです。
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