日本に住んでいない私が、日本に来るたびに日本が変わってきているな、と思ういくつかのことがあります。

その一つが、注意書き。

30年前にはこんなになかった注意書き。
消費者を保護する法律のためか、ありとあらゆるところに、「ご注意ください」と書いてあります。
それは、「あらかじめ注意してくださいと言っておいたので、事故にあった場合は私に責任はありません」という自己防衛のためなのでしょうが、こんなに注意書きが必要なものでしょうか?

まして注意書きだけでなく、アナウンスでも同じことが流れるのです。
この前、都バスに乗っていた時のこと。
「バスが発進します、ご注意ください」と前に表示されているのにもかかわらず、また運転手さんが同じことを繰り返して言う。それも全てのバスストップで同じことを言います。

このようなことに慣れて育ったら、いつの間にか、当たり前のことを自分で考えたりしない、「人に言われなかったから、こうなったのは他の人の責任」というようなことになるのではないでしょうか?
人間本来の、「自分で考えて自分の責任を持って行動する」という基本的な考え方がなくなってきていると思います。

次は音声案内。
いつも東京に来るたびに宿泊する親友の新しいマンションの電化製品は、すべて音声で教えてくれます。
電子レンジは、「温め終了しました、ドアを開けて器を取り出してください」。
お風呂は、「お湯張りをします」「お風呂の準備ができました」。

電子レンジに物を入れたのだから、温めが終わるのは当たり前、まして終わったら取り出すのは当たり前。お風呂のスイッチを入れたのだから、お湯が湯船に入るのは当たり前、そんなことは言われなくてもわかるはず。
こんなことを機械に言われて育ったら、人間はどうなってしまうのでしょうか?
こんなことが、自分で考えられなくなったら人間はどうなるのでしょうか?
地下鉄では線路内立ち入り禁止、線路に入れば危険なのは当たり前。電車のドアに手を挟まれれば、手に怪我をするのは当たり前。

「親切すぎる注意書き」不思議な国、日本_img0
 

次の不思議は、
「勝手ながら、改装工事のためご迷惑をおかけしております」
の看板。

「親切すぎる注意書き」不思議な国、日本_img1
 

公共の場所でもないデパートが改装するのは勝手ではないし、まして改装中のため、ご迷惑でもない。
「改装中のため、ご不便をおかけしております」というのが正しく、昔の日本ではそのように表示されていたように記憶しています。

次の不思議は子連れの親に対する警告。
「子供から離れない」。
小さな子供から離れる親がいる方がおかしい。
まして「子供から目を離さない」。これは基本中の基本。

「親切すぎる注意書き」不思議な国、日本_img2
 

このような看板だらけ、音声だらけの環境は、異種の美化公害・音声公害にもなっているはず、ではないでしょうか?