写真:椿雅人/アフロ

社会学者の上野千鶴子さんが東京大学の入学式で述べた祝辞が話題になっています。賛否両論が巻き起こっていますが、上野さんのみならず、東大側としては予想範囲内の反応だったと思います。大学はそもそも既存の枠組みに疑問を呈していける場だと思うからです。

私自身、2003年に東大に入学しましたが、4月の最初の一カ月のサークルの勧誘や授業で、心底失望しました。1、2年のうちに通う駒場キャンパスで新入生が最初に接するのは2年生の先輩で、彼らが教えてくれるのは、コンパとは何たるかと、いかに楽に単位を取るか、ということだけ。大教室の授業では、後ろの男子学生たちが昨日の新歓コンパでカワイイ子がいたかどうかという話をずっとしていて、うるさくて仕方ない。「なんなんだ、ここは」と思いました。

これは在学生だけではなく、同級生も同じ。法学部(文Ⅰ)の人は東大受験が終わったらすぐに次の試験(司法試験やロースクール)に照準を合わせているケースも多いし、また医学部(理Ⅲ)の中には、医学に関心はないけどとにかく最難関だったから受けたという人もいる。まるで受験がゴールかのような大学の実態に、げんなりしました。


とはいえ、私自身も、勉強したいと思っていた教育社会学は3年次になってから、本郷キャンパスに行かないと学べないと思っており、自らほかの学問の扉を次々と叩いて行けるほどの探究心も、一見バラバラに散らばっているように見える授業の知見と知見を、自分でつないでいけるだけの教養もありませんでした。

結局、私は最初の1年間は大学の外にでてNPOや学生団体を見学したり手伝ったり、他大学にもぐってまわったりしました。そして実はこういった多様な選択肢があることを、大学に失望する前に次の新入生たちにも知ってもらおうと、友人と協力して冊子にまとめて自主出版し、全国の大学で売り歩きました。

しかしそうこうするうちに、東大の中で、とても「面白い」人たちに出会います。
私が「大人数だと先生が遠くてつまらないなぁ」と思っていた授業から多くを吸収し、自らの関心にあわせた知のマッピングをしながら、授業を心から楽しんでいる人たちも一定数いることが分かってきたのです。

 
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