前回は「働き方改革」の話を書きました。
記事の中で触れたのは、「女性が時短やフリーランスなどの働き方を選ぶと、それだけ育児・家事が女性に寄ってくる問題」について。

女性がフレキシブルな働き方を選ぶことで、夫が育児や家事、あるいは介護に一層無関心になり、それらの役割がかえって女性側に偏ってしまう、というケースが多いことを書いたのです。

その記事を読んで、友人がコメントを寄せてくれました。
彼女は30代のフリーランス。夫と子どもと3人家族です。以下は彼女のコメントからの抜粋です。


「わかります!『フレキシブルな恵まれた働き方をさせていただいている』というバイアス、そしてある種の『うしろめたさ』によって、『このくらい家事育児をしないと…』という刷り込みがすごく大きいんですよね」


彼女からのコメントをもらって、改めてこの問題は複合的な要因があわさって引き起こされていると感じました。ぱっと思い浮かぶだけでも以下のようなものが考えられます。

・家事・育児の得手不得手の問題
一方が家事・育児に苦手意識があり、コミットメントが落ちる

・育休期間の「ママシフト」の定着問題
育休期間中に女性が育児・家事の主な担い手になり、その状態がそのまま家庭内に定着。育休復帰後もママが中心に育児・家事を担ういわゆる『ママシフト』が継続してしまう

・物理的な長時間労働の問題
子どもを持った後も主に夫側の長時間労働が継続することで、夫の育児・家事へのコミットメントが低くなる

そして冒頭でも紹介した、女性の中にある「うしろめたさ」や「罪悪感」など、私たちを縛っているもの(=呪縛)の問題。

今回はこの「呪縛」に焦点をあてたいのですが、振り返れば、家事育児にとどまらず、私たちはたくさんの「~しなければならない」に縛られて生きている気がしませんか?

たとえば独身時代の私を縛っていたのは、「結婚しなきゃ」「子どもを持たなきゃ」――そんな焦りや不安でした。多様な生き方があっていいと頭ではわかっているし、周囲の多様性を受け入れることはできていた…と思います。一方で、自分自身のことになると、びっくりするくらい旧来型の価値観にとらわれ、縛られていたんですよね、今思えば。

この「呪縛」は結婚後も続きます。子どもを産んでみたら、「母乳で育てなきゃ」(でも結局、母乳が出ず「完全ミルク育児」に。それはそれでよかったと今は思ってますが)。また「保育園に早くから預けるのはかわいそうかも」というとらわれもありました(でも結局生後2カ月から預けることにして、それもまた結果的には良かったのですが)。

冒頭の友人は、コメントでこんなふうに続けてくれました。


「時短で成果を上げることもフリーランスで安定した仕事をすることも、自分自身が思うよりも大きく神経を使うこと。少し俯瞰で周囲のしわ寄せに目をやる余白が必要ですね」


彼女は何度も何度も夫と話し合いを重ね、自分自身が仕事も育児家事も抱え込みすぎていたこと、そして夫婦の視点の違い、互いの仕事の理解が足りていなかったことに気づいたそうです。

 

そしてこうした対話を通じて、実は彼女の夫のほうにも気づきがあったと言います。夫側も「仕事量は変えられない」という思いこみがあったことに気づき、「もっと自由になっていいんだ」と思うようになったそう。その結果として、働く時間の柔軟性の高い職場へ転職したとのこと。

そう。縛られているのは私たち女性だけじゃない。男性だって縛られているんですよね。

それは私たちが成長過程において家庭や教育や周囲からの影響で学び、自らの内側に蓄積していったものです。でも、残念ながら自分たちを縛っているものの正体を自分の力だけでは気づけないんですよね。

彼女の解決策は、夫との対話でした。私も周囲と対話することで少しずつ、自分がとらわれているものの正体を知り、それを手放せてこれた気がしています。

みなさんを今縛っているものの正体は何でしょう?
その苦しさに声をあげたり、周囲と対話することで
それらを少しずつ手放していきませんか?