赤ちゃんのりくを抱えて途方に暮れる増野(柄本佑)と励ます四三(中村勘九郎)。
第23回「大地」 演出:井上 剛
あらすじ
女のカラダは医学的見地から運動に向いてないと考える村田大作(板尾創路)は娘の富江(黒島結菜)と正々堂々、短距離走で勝負して負けたため、金栗四三(中村勘九郎)の解雇を撤回する。新時代の到来を感じる痛快な気分ではじまったところ、大正12年9月1日、関東大震災が起こり、ちょうど凌雲閣にオペラを見に来ていたシマ(杉咲花)が巻き込まれ行方不明に。残された夫・増野(柄本佑)は赤ちゃんのりくを抱えて途方に暮れる。


関東大震災の様子を落語で語る


地震の瞬間、四三は嘉納治五郎(役所広司)と建設中の神宮競技場にいた。大変なのは地震のあとで、東京は浅草から日本橋、芝まで地震のあと各所で発生した火事で燃きつくされる。この混乱のなかで根拠のない流言飛語がとびかい、自警団が日本人ではない者を捕まえようとする。
古今亭志ん生(ビートたけし)こと美濃部孝蔵(森山未來)は地震のときでも酒を飲むことを忘れなかったが、おりん(夏帆)が身ごもっていることを知る。そのときの子がのちの志ん生のマネージャーもつとめる美津子(小泉今日子)であった。

 


「浅草の町がたった2日で消えた」
関東大震災の様子を志ん生と孝蔵が落語で語る。とりわけ被害がひどかった吉原の様子を語るところが印象的だ。瓦礫のセットに孝蔵が座りそこに震災の様子が幾重にも映し出された。
ドラマでは、凌雲閣のシマ、孝蔵の家の被害などが描かれるが、高台から燃える東京を見つめていた孝蔵が客観的な視線で当時の様子を話し言葉で記していく。まるで「富久」の町の様子を実際に足で実感して語れるように訓練したように。こうしてたくさんの被害を落語で語ることで、当時のようすがわかるうえ、これが関東大震災に限らず、たくさんの自然災害のことのように思えてくる。
また、落語のよさのひとつに、当時の町や人々の様子が言葉で残っていることもある。映像で描ききれない分、言葉のちからが発揮されるのだ。
大震災の噺をするとき、「40年も経っているのにどうしても笑いのほうへ引っ張れないんだな」といつもふざけている志ん生が言うからこそずしりと重い。
「いだてん」の公式ツイッターによると、演出家の井上剛はこのように取り組んだ。
「四三が必死でシマを探すように 孝蔵 もなじみの人間の安否を心配していたでしょう。孝蔵が震災について語り出す場面は、悲しみに暮れながらも自分自身を必死で取り戻そうとしている姿を描き、プロジェクションマッピングでその心象を映し出しました」

大河ドラマ史上、関東大震災の悲劇が描かれるのは、「いだてん」が2度目になる。
明治、大正時代を描いた大河ドラマ・近代大河三部作の一作「春の波涛」(85年、原作:杉本苑子 脚本:中島丈博)でも一年間の放送のクライマックス(最終回)で関東大震災が起こる。主人公たちは被害を免れるが、焼け跡を訪れた松坂慶子演じるヒロインが自警団に問い詰められるシーンがある。それだけでなく、自警団によるかなり凄惨な描写もあるが、自警団が何を取り締まっているか具体的なことはボカされている。「いだてん」では四三が熊本弁をしゃべるので日本人じゃないと自警団に詰め寄られる。関東大震災の直後、実際、こういうふうに謂れのない被害にあった人たちが少なくなかったのだ。


シマを探す増野の台詞がSNSでも話題に


22回で、これから女子スポーツが盛んになるときに妊娠し、「なんか間が悪くて」「結局わたし、何も成し遂げてない」と悩んでいたシマ、出かけるとき、りくが号泣、何かと彼女の顔がアップになるなど、いわゆる死亡フラグがこれでもかと立ち、そして……。でも決定的なシーンは
倒れてくるもののシルエットで隠して見せない。生きていてほしいけれど……。
長らく、昭和編の五りん(神木隆之介)がシマと関係あると思わせてきた、その答えも最後に、シマと夫の結婚写真(21回で撮った)を五りんがもっていたことでわかる。そのときの写真のなかのシマの笑顔が辛い。
ここで志ん生による四三(仲人として隣に写ってる)の髪型いじりがあるが、彼こそ、志ん生が「東京オリムピック噺」で語っている金栗であることに志ん生は気づかないという余韻もいい。

シマがいなくなって泣きながら言う増野の台詞がSNSでも話題になった。
「はじめて文句言ったんです。ごはんが固いって。やわらかいのが好きなんですよ。がまんしてたけど、これからずっと暮らすんだし、言ったほうがいいと思って。ごめん、ごめん、言わなきゃよかった。ごはんなんてどうでもよかった」
それを聞いて、四三は「夫婦だけん もっともっと言いたかことば言いあえるとばい」と励ます。
23回では、夫婦の形もじんわり描かれていた。

 
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