パリスブームが起きたのは2000年代初期。しかしその20年も前の1980年代に、日本にはすでに、女性たちのキラキラな欲求を開放する伝道師、松田聖子がデビューしていたのです。露出過多なファッションのパリスと清純派の聖子ちゃん。見た目やライフスタイルは違えど、ふたりには共通項があります。

それは
「可愛くなりたい、愛されたい!」
「やりたいことは我慢しないで実力行使で手に入れる!」。
そんな女子の欲望全開な生き方。そしてそれを、人目を気にせず貫いたこと。

これは例を挙げれば、マドンナに憧れていた頃の全米進出だったり、世間を賑わせた美容整形疑惑(これはもちろん憶測の域を出ませんが)だったり、略奪婚(これもあくまで女性週刊誌からの情報ですが)だったり……。

 

人気絶頂でこれらをやるのって、かなり勇気のいることだと思うのですが、その辺りも聖子ちゃんは、世間の目より「自分ファースト」。可愛くなるためなら美容整形も辞さず、あくまで「自分が目指す、完璧な松田聖子像」のために進化し続ける。

この、バッシングを気にせず欲望に忠実に生きる感じが、何だかパリスと似ていると思うのです。(私個人としては、聖子ちゃんの方が数万倍も好きですが!)

そして聖子ちゃんの場合は、どんなスキャンダルが起きても文句を言わせない、圧倒的なアイドル歌手としての実力とプロ意識の高さで、トップアイドルの座をキープし続けてきました。

ヒルトン家の令嬢であるパリスと、福岡の名家のお嬢様といわれる聖子ちゃん。そういった育ちの良さのようなものも、彼女たちのメンタルの強さや自己肯定感に、もしかしたら関係しているのかもしれませんね。

そしてもうひとつ。
聖子ちゃんって「なりたい自分像」が常に明確で、セルフプロデュースが上手。

それを裏付けるのは、デビュー時に用意されたシンプルな衣装に納得せず、自分で「こういう衣装で、こういう振り付けがいいと思うんです」と、フリフリの女の子らしい“ザ・アイドル”なワンピースのデザイン画を描き、振り付けも自ら提案したというエピソード。そしてあの一斉を風靡した「聖子ちゃんカット」も、聖子ちゃんが当時通っていた「ヘア ディメンション」の担当スタイリストさんと相談して作り上げたもの。

自分の可愛らしさや魅力を最大限に引き出すセルフプロデュース力が天才的にずば抜けていたんですね。

そして、あの時代に、押し付けられる大人の意図に従っただけの「作られたアイドル」ではなくて、自分の意思を持ってアイドル・松田聖子をセルフプロデュースしていた。

これが、同時代の他のアイドルの追随を許さなかった、「松田聖子」のすごさなのです。

特にファンには伝説となっている、「夏の扉」のイントロの“猫パンチ”振り付けの殺人的な可愛さたるや! 未見の皆様は、ぜひYouTubeなどでチェックしてみてください。
聖子ちゃんのセルフプロデュース力の高さがわかるはずです。


長くなったので、後編に続きます!

前回記事「39周年コンサートで改めて考えた「松田聖子」のすごさ」はこちら>>

 
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