前編後編に分けたことで、またまたハードルが上がってしまったのですが、私なりの「聖子ちゃん論」を続けたいと思います。

さて、前編で聖子ちゃんのセルフプロデュース力のすごさについて語りましたが、セルフプロデュースしている、ということは、「松田聖子」という仮面をつけてオンを演じているということ。

このオン・オフがあるからこそ、「聖子ちゃんはトイレに行かない!」などという幻想さえもファンに抱かせることができたのですよね。

なお、同時代のアイドル二大巨頭として、聖子ちゃんと並んでキョンキョンこと小泉今日子さんの名前が挙がることがありますが、聖子ちゃんとキョンキョンは、全く違った存在だと思っています。

キョンキョンは「いまどきのアイドル」像を生み出した立役者。

私の印象としては、キョンキョンはセルフプロデュース力というより、むしろ周りのスタッフに恵まれて、彼女の魅力がどんどん引き出されていったように感じています。スタイリストさんやヘアメイクさんが投げるボールにどれも面白がって乗っかり、それに対してみんなの想像以上のものを打ち返かして行くことで、スタッフみんなで「アイドル・小泉今日子」を作り出して行ったというイメージ。

学校内の立ち位置でいうと、キョンキョンはいわゆるヤンキーやイケてる男子と付き合っている、垢抜けたかわい子ちゃん。学校サボって、男の子のバイクの後ろに乗っていそう(笑)。もちろん手は届かないんだけど、どこかリアルさのある美少女。

対して、聖子ちゃんはいつもニコニコしてて可愛いけど、男子が話しかけづらいオーラがあって、影でこっそりファンクラブがあるような存在。なんだか寝るときも髪の毛にリボン結んでネグリジェ着てそうだし、休みの日何をしてるのかわからないけど、私生活についてのくだらない質問はさせないミステリアスなオーラが。……ええ、完全にファンの欲目も入ってます(笑)。

そして、聖子ちゃん39周年コンサートについての記事では松本隆さんの歌詞のすごさについても触れたのですが。

なぜ松田聖子は「アイドル・松田聖子」になりえたのか_img0
 

私が敬愛する松本隆さんの作詞の才能が偉大なのはもちろんなのですが、その松本先生のイマジネーションを最大限に掻き立てた聖子ちゃんという存在が、やっぱりすごいなと。

名曲『天国のキッス』。この曲の歌詞の中には、「彼に誘惑されると見せかけて誘惑を仕掛けている」というような一節があるのですが、私は、これは世の男性たちの、「(聖子ちゃんみたいに)一見清純そうで可愛い小悪魔に、手のひらの上で転がされ翻弄されたい!!」という密かな(?)M願望が凝縮された歌詞だと思っています(笑)。

 

港区は青山生まれ青山育ちの生粋のシティボーイ・松本隆さんが詞の中に描く女性像は、透明感があってスマートで軽やか。たとえ失恋したとしても、ジメジメ・ドロドロしていないのがイイ!

松本先生の歌詞からは「恋愛において、自分の選択に責任を持ち、男性のせいにしない。そして自分の運命は自分で切り拓く」。そんなかっこいい女性像が浮かび上がってくるのですが、これって聖子ちゃんの実生活にもリンクしてそうではありませんか。

 
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