歌舞伎の幕間に食べる人、観劇後に食べる人
50代の皆さんはきっと、そのような不安や悩みを、1つや2つや3つや4つ、乗り越えながら生きていることでしょう。さらにこの年頃になると、様々な症状を必ず乗り越えられるとは限らなくなってきます。若い頃も身体の不調はありましたが、それは時が経てば、もしくは治療をすれば治るものでした。しかし年をとると次第に治りが遅くなり、そうこうしているうちに「どうやら、治らないのかも」ということも。身体の不調は、「乗り越える」ものから「付き合う」ものになってきたのです。
私の胃にしても、一時の症状は次第に収まってきましたが、少し無理をすれば、また「胃が重い……」ということに。王将の餃子を一心不乱に食べ続ける、といった行為は、もう怖くてできなくなったのです。
昔、母親が、
「こんな遅い時間に食事したくないわ」
などと言うのを聞いて「年寄りくさいなー」と思っていましたが、今ではその気持ちがわかるように。母娘って、やはり体質が似るものなのですね。
また若い頃は、歌舞伎の夜の部を観る時も、幕間にお弁当を食べるようなことはせず、終演が九時であっても、それから食事をしていました。歌舞伎通のおじさまに、
「終演後に食べられるっていうのは、若い証拠」
と言われた時も意味がよくわかりませんでしたが、それも今ならよくわかる。
つまり私は、「胃弱の人」となったわけです。今後もずっと、繊細な胃をなだめすかしながら、付き合いを続けることになるのでしょう。
友人知人を見てみれば、やはり皆、あちらこちらに悩みを抱えています。何かの薬をずっと服み続けなくてはならない人もいるけれど、
「え、どうしたの? 何の薬?」
などと聞く人はいない。大人のマナーを皆、心得ているのです。
同世代が集まれば、出てきがちなのは、身体の話。
「数値が」
「痛みが」
などと種は尽きないのですが、そんな話をしていて思うのは、「意外と楽しい」ということなのでした。身体に訪れる老化や変化に戸惑っているのは、自分だけではないと確認することによって、気持ちが楽になるのだと思う。
たまに、
「老眼って何? 更年期とかも、全く感じたことなーい。みんな大変なのね」
などと豪語する頑健な人もいるのですが、そんな時、
「羨ましいな、若いのね」
などと称賛しつつも、皆の胸に「KY」の2文字が浮かぶのは、言うまでもありません。せっかく楽しく加齢の傷を舐め合っているのに、無粋な話をするな、せめて黙っていろ、と。
とはいえ多少の健康事情の違いはあれど、我々は共に死というゴールに向かって進む仲間なのだという事実は、身に沁みるようになりました。現時点で少しばかり老化が遅れていようとも、いつその人がばったりと倒れないとも限らない。今となっては、友人達がどうにかゆらぎがちな50代を乗り切って、無事に高齢者の域に入ってほしいと、祈るような気持ちなのです。
そんな中でも、ふと気が緩んだ瞬間には、気分年齢と肉体年齢との齟齬のはざまにすっぽりはまってしまう、という事態も発生するのでした。先日も私は、友人達とカラオケで盛り上がっておりました。物書きの私は、仕事でずっと家にいると、一日中ほとんど声を出さないことがあります。最近誤飲が増えてきたのはそのせいなのでは、ということで、「喉トレ」と称して、シャウトしていたのです。
久しぶりのカラオケは楽しくて、踊りまくりながら歌いまくった私。すると家に帰る時に感じたのは、腰の違和感でした。きっと低いソファーのような椅子に座りつつ踊っていたのが、腰にきたのではないか。
その時に脳裏に浮かんだのは、他ならぬ「年寄りの冷や水」という言葉。若い妻と再婚して子供をもうけた50代男子の友達が、幼稚園の運動会で「まだ若い」と張り切って走って靭帯を切ったという事件を笑っていた私ですが、もう彼を笑えない……。
それ以来、なかなか治らない腰痛。この腰痛を、私は乗り越えることができるのか、それとも腰痛も胃弱と同様、一生のお友達になっていくのか。年を取るということは、このように見知らぬお友達が増えていくということでもあるのですね。
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酒井順子さんの連載、次回は9月10日公開予定です。
前回記事「受け止められる老化、受け止められない老化【朽ちゆく肉体、追いつかぬ気分・前編】」はこちら>>
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