酒井順子さんによる書き下ろし連載。「セックスレス」という言葉の登場によって、呼び起こされた“寝た子”。人生の後半戦、性の需要と供給のギャップをどのように埋めていけばいいのでしょうか。
性の冒険家たちも年を重ねて
気がつけば50代ということで、セックスを恒常的にしていないからといって変だとされる年齢でもなくなりました。今や若者ですら、セックス離れが目立つ時代。むしろ性的にギラギラしていると、レトロな感じがいたします。私の仲間うちでも、皆がレスということは言わずもがなの事実となり、もはや話題にも上らなくなってきました。
同世代でも性的に現役という人も、たまにはいるのです。結婚が遅かったり、また独身で恋をしている最中という人は、自らのシモがかった話を生き生きと語ってくれたりもするもの。
しかしレス歴が長い人からすると、その手の事例は完全に「外れ値」なのであり、話を聞いても、もはや前世の記憶を弄られるような感覚を抱くのみ。昔であれば、50代といえば既に死んでいてもおかしくない年頃なのであり、他人がセックスをしているから、では自分も、という気持ちにもならない年齢になったといえましょう。
たとえ性に挑む気持ちはあったとしても肉体が追いつかないのが、50代でもあります。私が密かに、「性の三浦雄一郎」(三浦雄一郎を知らない方に注・80代でエベレストに挑戦している冒険家)として尊敬している同世代の女友達は、若い頃から性の冒険家なのですが、そんな人ですら性交痛を感じるようになってきたと言います。婦人雑誌で得た知識によれば、マタ部の筋肉が加齢によって弾力を失い、性交の時に処女でもないのに痛い、というのが性交痛だとのこと。彼女によれば、
「ローションが欠かせない」
のだそう。
熟女モノのAVを冷静な目で見ると
そういった肉体内部の問題の他に、見た目の問題もありましょう。「性交する50代」を客観的に見るとどのようなものなのかと、私は熟女モノのAVもたまにチェックしてみるのです。
AV業界において、熟女モノの人気が大変に高い昨今。あちらの業界では、25歳からは微熟女となり、30代から本格的に熟女になっていくようです。一般社会においては35歳くらいからが熟女意識が高まることを考えると、やはり身体が資本のAV業界では、俗世間よりも10年ほど早く熟女意識が醸成される模様。
しかしその業界では、熟女達は意外と息長く活躍を続けることができます。三十路、四十路は当たり前。五十路、六十路そしてそれ以上も、一定の需要があるのでした。性の現場で傷つきたくない男性が増えている今、何をしても、もしくは何もしなくても許し、包容してくれる熟女が求められているのです。
義母や実母が、旺盛な性欲と超絶技巧で、息子のお相手をしてあげるという熟女モノAVの設定は、今時の男性達の一つの理想図です。とはいえ熟女達の肉体を冷静に見ると、マニア以外には、やはりきつい部分があるのでした。
まだ40代までは、少し崩れてきたが故の色気が感じられるのです。が、50代ともなると、いくら美熟女であっても、完熟の先にある爛れ感や腐臭が、漂うようになってくる。
動く度に揺れては戻る、下腹部の脂肪。そのすぐ上には、かつて巨乳だった物体が乗っている。体位によっては熟女が真下を向く場面もあるのですが、全ての肉が引力に素直に従っているその顔は、見てはいけないもののよう。
太っていなければいいかというと、そうではありません。痩身の熟女の場合は、あらゆる部位に深浅さまざまな皺が刻まれ、それは乳輪であっても免れない。興奮がたかまって我を忘れたその顔は、地獄絵図の炎の中に見たことがある表情なのであり、痩せた熟女は、むしろ肉付きの良い熟女よりも凄惨なのです。
裸の熟女達の姿を見ると、「もしもこんな機会があったとしたら、本当に気をつけなくては!」と思う私。若い頃と同じ気分でいたら、お相手にもご迷惑でしょうし、自分も身体を壊しかねません。
いつまでも「受動的」が望ましいのか
今時の50代は、「モテたい」とか「ちやほやされたい」といった煩悩を捨てることができないわけですが、しかし若い時のままのこの煩悩に、性的魅力はついていくことができません。
「モテたい」「ちやほやされたい」の先に「したい」という欲望を持っているのであれば、50代は土俵を変えなくてはならないのでしょう。すなわち、受動の土俵から、能動の土俵へと。
熟女モノAVを見ていると、熟女に期待されている役割は「痴女」であることがわかります。旺盛な性欲や、長い人生で培ってきた性のテクニックをもって、男性に自分から迫っておもてなしをするのが、あるべき熟女の姿なのです。
すなわち「愛されたい」「迫られたい」「求められたい」という受動的な欲求は、熟女が抱いても決して満たされないものなのでした。中年になって性的に枯渇しているのは、いつまでも受動的欲求から解放されない人。対して性的に満たされているのは、若い女性の特権である受動欲求を早々に手放して、自分から積極的な働きかけをする能動的な人なのです。
特に性的な場面においては、能動的に動くと男性がすぐに萎えてしまうので、受動的になるクセがつきがちな、日本女性。しかし50代ともなれば、「あなたの意のままになりますよ」という受動的魅力で、若者にかなうはずもない。だというのにいつまでも受け身でありたいという女性は、年だけ食った性的童女なのであり、真の「熟」女とは言えないのではないか。女も年をとったなら、相手をリードする気概が必要なのだ。
……といったことを熟女モノAVを見ていると思うわけですが、もちろんAVの世界の常識が一般の世界に通用するわけではありません。「私はあくまで、受動的でいたい」という人は、いくつになっても「こんなの、初めて」と言い続ける夢を捨てないでもいいのだとも思います。
性的に、どのような立ち位置にいるべきか。50代のそんな悩みは、しかしもう少ししたら薄れていくのでしょう。かつてシルバー男女がラブホテルに入っていく姿を見たことがありますが、高齢者の方々は、案外性的にアクティブだとのこと。50代の中にまだ残っている粘り気のある性欲が少しずつ乾き、形を変えていった時、また新たな性の地平が見えてくるような気がしてなりません。
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