サスティナブルという言葉がファッション業界で乱発されるようになってから、永遠に着られる服はどんなものですか、と尋ねられることが以前より一層増えた気がする。

 

それを毎年同じように着られる服、と解釈するのであれば、端的に言ってしまうと”そんなものはないんじゃないか”と私は思っている。

理由は、常に変わりゆくトレンドが街を席巻する中、どんなベーシックなものでも丈感や首のつまり、シルエットが変化して、以前のものは古く見えてしまうから?

それも間違いなく一理ある。

でも例えば、1、2年前に買ったお気に入りのベーシックなシャツを着て、去年と同じコーディネートをしてみたらなんだか去年のようにはしっくりこない。
なんていうことがあるなら、それは確実に自分自身の変化のせい。

変化というとどうしても、エイジング、つまるところ老け感に目を向けてネガティブに捉えてしまいがちではあるけれど、決してそれだけにはとどまらない。

中学1年と2年、高校2年と3年、大学1年と3年…誰でも学生の時の写真を見比べると  1,2年で驚くほど顔が違うことの理由はもちろん成長が一番だとはいえ、本当は様々な喜怒哀楽や未知の世界という経験を重ねたことによる影響もかなり大きい。

それは、成長をとうに終えた私たち大人だって同じ。

若い時には成長、大人になればエイジング、なんていう年齢を重ねていくがゆえの緩やかな変化よりも、大きいのは毎日積み重なるちょっとした出来事による喜怒哀楽、自分を取り巻く空気感、思想。

それはよくも悪くも顔や身体の見た目に大きく影響するからこそ、毎日を丁寧に、ということと同じくらい”毎年同じ服を同じように着られるというイメージはもたない”ということを最近心がけるようになった。

新しい季節に数年前の服を大切に出してまた着るのはまったく悪くないし、むしろ私は大好き。

ただ、この新しい季節に数年前と同じ自分を思い浮かべることをせず、ブランニューな自分はこれをどう着られるか、着こなせるか、ときちんと鏡で全方位から自分を見つめ、楽しみながら対話する。

それはトレンド云々ではなく、今の自分と向き合う、ということ。

ボタンの留め方やアイテムの合わせ方、靴とのバランス…など服の着方を見直し、時には好きなアイテムを今の自分に合わせて買い直す、手持ちの大好きな服をもう一度似合う自分になる日まで大切にとっておくのだってウキウキする。

一着の服をずっと変わらず着続けることは、顕著に現れる変化を良い部分も悪い部分も含めてきちんと受け止めること。

その上で今の自分が一番好き、と思える私でいるためには、1、2年前のベストな自分の残像にとらわれぬよう、毎年、毎シーズン、思い込みをリセットしながら改めてきちんと自分と服をみつめたい。

それができないのなら、いくら高いお金を払ってハイブランドの上質でエターナルなものを選んでも、一年で飽きてしまうか、またはしっくりこないことになんとなく気付きながらも自分に似合うと思い込ませるに違いない。

一枚で印象が決まる春夏と違って、これからは着重ねたり巻いたり、ヘアメークを変えたりと工夫が楽しい季節だし♪なんて気分も乗ってきていた矢先、ある雑誌の仕事で、特集名を言われてハッとした。

「整えなおす」

雑誌の意図することとすべてが同じでないかもしれないけれど、まさに今私がしたいこととぴったり合う言葉だ。

同じものを何年も素敵に着られる人と一年前のものでもどこか古く見える人の違いは、服じゃない。

整え直せているか否か。

最初の質問へきちんと答えるなら、こんなことも付け加えたい。
もし変わらず同じように着続けられる服があるのなら、それは自分自身が進化を遂げられていないということ、と。

さて、貴女はずっと着続けている服はありますか?その服とどんな風に向き合っていますか?

今年(上)と去年(下)の私。ほぼ同時期に偶然にも同じスタイルをしていました。でも、微妙にデニムの形や色、靴、全体の甘さなどが違うんです。1年では微差でも2年、3年と積み重ねると大きな差になると私は感じています。

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