したがって国会議員は、時間単位で働く一般的な国民とは根本的に異なる立場と認識されており、そうであるが故に、個人の価値観や私生活も含めて厳しく国民から判断されることになります。公人として24時間365日に国に奉仕することが求められているわけですが、一方で、いわゆるノルマのようなものも一切ありません。

小泉進次郎氏に待ったの声。国会議員の育休はアリかナシか?_img0
11日、第4次安倍再改造内閣が発足。恒例となっている首相官邸での記念撮影の様子。 写真:ロイター/アフロ
 

議員がどのように仕事に取り組むのかについては、すべて本人の良心に委ねられており、極論を言えば、国会に行こうが家で休んでいようが勝手であり、完全な自由が保障されているのです。

なぜこのような特権的な立場を与えているのかというと、議員の完全な自由を保障しないと、民主主義が崩壊してしまう危険性があるからです。

かつてナチスドイツはヒトラーにすべての権限を付与する全権委任法というとんでもない法律を国会で成立させ、ユダヤ人や同性愛者を迫害するという恐ろしい行為に手を染めました。議員に経済的余裕がなく、誰かに行動を束縛される状況では、容易にこうした圧力に押されてしまいます。戦争中の日本でも、戦線の拡大に反対する国会議員が、経済的、社会的な圧力を受け、意見の撤回を迫られるというあってはならない出来事がたくさんありました。

戦後はこうした過去の失敗を繰り返さないため、先進諸外国と同様、国会議員の身分をしっかり保障し、本人の良心に基づいて自由に政治活動ができるよう制度が再構築されたのです。一部にはこうした特権を悪用する議員もいるのですが、私たちにとってもっとも大事な民主主義の制度を守るためには、ある程度はやむを得ないというのが現代社会の基本的な考え方です(これを民主主義のコストと呼びます)。逆に言えば、だからこそ私たちは、真剣に政治に向き合い、良識ある人を国会議員に選び出さなければなりません。

前置きが長くなりましたが、良心のみに従い、全人格をもって仕事をするという国会議員の原理原則を考えた場合、そもそも育休を取ることが良いか悪いかという概念自体が存在しません。もし小泉氏が、政治家として育休取得が大事だと思えば、自身の意思で勝手に休めばよいですし、議員として選ばれた以上、私たち国民にそれを止める権利はなく、その間の歳費について返納を求めることもできません。

しかし、議員の行動を評価するのもまた国民です。もし育休を取得する議員の行動が不適切だと考えるのであれば、国民は次の選挙で議員を落選させればよいという理屈になります。

100%納得できない部分もあると思いますが、民主主義というのは私たちが考えているほど、強固なシステムではありません。全力で維持しなければ、簡単に崩れ去るものであり、容易に隣国のような国になってしまいます。小泉氏は自身の政治信条に従って育休の取得を判断すべきであり、その行為について選挙を通じて審判を下すのはわたしたち有権者です。

前回記事「台風翌日の交通マヒが、何度やっても改善されないワケ」はこちら>>

 
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