幸せになろうとすると立ちはだかる
「私なんか」という自己否定


岸見 小林さんは愛されたいと思う人の消極的なタイプですけど、一方で積極的な人もいます。

小林 「愛されたい」と受け身なのに、積極的?? どういうことですか!?

 

岸見 つまり、「アナタが私を愛してくれるのであれば私もアナタを愛しましょう」というタイプです。これは駆け引きです。それで愛してもらえないのであれば最初から愛さないでおこう、と思ってしまう。
しかし「愛されなくてもこの人を愛することができる」という喜びを知っている人は、相手に期待をしません。自分が愛しているだけのことを返してもらったら、それは喜びでしょうが、そういうことも考えなくなります。そのように思った者同士が一緒になる、それが最上の愛ではないでしょうか。

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小林 実は私、その“愛することができる”を勘違いしていたところがありました。夫から、タクシーの中でプロポーズをしてもらったんですが、最初、お断りしたんです。交際もしていないですし、お互いのこともよく知らない、結婚に私が向いていないなどということが理由ではあったのですが、どこか心の奥底で、夫はとても優しくていい人だったので、私にはもったいないと思って……。
そのときは「私を踏み台にしてもらって、違う方と未来を歩んだほうが絶対に彼のためにいい」と思ったんですね。彼のことだけを考えていたというか、愛することだけを考えていたつもりだったんです。私が愛されることより、彼がより幸せになるため、というつもりだったんですけど……、まあ全然違ってましたね。
ただ当時は、私の中の愛がそれだったんです。自分にそういう考えが生まれたことは、自分でもすごくビックリしたことでした。

岸見 そういうふうに思われたのは初めてだったのですか?

小林 今までは「愛されたい」という気持ちが大きかったのが、初めて母性本能が働いたのでしょうか、「私のこと愛して」というのが全くないんですよ。1ミリも。

岸見 その「私でなくていい。他の人と一緒になるほうが絶対幸せ」という考えから、どうやって脱却したのですか?

小林 お断りしたものの、家に帰ったら涙が止まらなくて。なぜなら嬉しい気持ちがあったからです。そのときに「あれ?」と思いまして。
アドラーも「人は人生の半分の時間をかけて自分を書き換えていく」と言っていたように、私もまだまだ書き換え途上で、最後の最後になると昔の自分が出てくるんですよね。自己犠牲という名の自己否定が(笑)。そのことに気づいて、「これって、しなくていい我慢じゃない? 他の誰かではなく、私でいいんじゃない?」と我に返ったんです。

彼は「結婚したい」と言ってくれている、私も結婚したい、ここに飛び込もう、と。これもアドラーの言う勇気ですよね。しなくていい我慢をやめて進む勇気を持つことを決めたんです。

岸見 その自己否定も、小さいときからの教育の結果なのです。大人の期待を満たせないことで、「私はたいした人間ではない」とか「自分はそんなに価値があるわけではない」などといったことを、小さいときから自分に言い聞かせて育つ人は多いのです。
もちろん自分の悩みを顧みることができる、というのは大事なことですから、手放しに無邪気に「私が一番」でも困ります。でも我々はあまりにも自分を抑えて我慢している。本当は自分にも良いところがあるはずなのに、人の期待を満たせないという意味で「私よりもっといい人がいる」ということを習わしにして大きくなったのだと思います。

小林 私も、そのまま大きくなり過ぎちゃいましたね。