10月1日午後1時40分に、私の父は88歳の生涯を終えました。
一昨年の11月のこと。あまりにも咳が酷いので、病院に行く必要はないと言い張る父に「いつ亡くなるのか、私たちに知る権利はある」とまで言って出た診断は、ステージ3の肺がんでした 。
その際の 本人の希望は、延命治療などは一切行わない、苦痛に耐えられなくなるまで病院での治療および入院などはしない、でした。
健康診断などを受けることもなく、化学的な薬なども服用しない、いたって自然な老後を88歳まで満喫できたのですから、この死は祝うべきであって悲しむようなことは何もない、と死の直前に言っていたそうです。
最後の1ヶ月間は骨へのがんの転移もありかなりの痛みを感じていたようで、弟が父に頼み込んでホスピスに入院してもらいました。最後の2日間は私も父に会うことができました。
月曜日にパリからホスピスに駆けつける否や、「今日は食事が出ない、お腹が空いた」と。これが一番最初に出た私への言葉です。
早速、看護師さんに聞きに行くと「痰がひどく苦しそうなので、担当医の判断で今日から点滴で栄養を取っています」という返事が帰ってきました。
それに対する私の答えは「私、娘としての希望は死を迎えることを延ばすより、今日好きなものを食べて、飲んで最後の時を本人の希望通りに過ごしてほしいことです、と担当医の方にお伝えくださいますか?」でした。
それを聞いた看護師さんは、数分後に父の部屋に来て笑顔で「先生の許可が出ましたから、なんでも欲しいものをどうぞ」でした。
夕方には今が旬の梨が食べたいと言って、買ってきてもらったものを美味しそうに食べ、父のたっての希望で入浴もさせてもらい、「本当に気持ちがいい 」と言っていたそうです。おまけにここ数十年飲んでいないコーヒーが飲みたい、とまで。
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