酒井順子さんによる書き下ろし連載。平成30年の時を経て、大学卒業30周年と重なった酒井さん。久しぶりに同窓会へ出席してみたところ……。
“自分とは別種の人達”との壁がなくなる時が来た
昭和最後の年であり、平成最初の年である1989年に大学を卒業して、社会に出た私。そんな我々世代の社会人人生は、平成時代と重なっています。令和の時代になったということで、この30年に区切りをつけてみる気になってきたのです。
同窓会的な集いの楽しさの一つは、そこに「同世代しかいない」というものです。儒教的刷り込みが根強い日本に生きる我々は、常に他人と自分の年齢を気にして、敬語を使用すべきか否か等を考えつつ、生きています。
「年齢なんて、関係ありません!」
と豪語する人もいますが、例えば初対面の年上の人にいきなりタメ口で話すことができるのは、特殊な才能を持つ人だけでしょう。
相手が年上か、年下か、どんな世代か。……といったことをいつも気にする癖がついている日本人にとって、同窓会はその手のストレスから解放される場。私達世代にとっては、この30年間ずっと抱き続けてきた「バブル世代ですんません」的な気分も、どこかに置いておくことができます。
大学の卒業30年の集いは、母校で開催されました。会場のあちこちに見えるのは、知っているような知らないような顔の数々。次第にピントが合ってきて、
「あ、○○君だ」
とか、
「××ちゃん、変わらない」
という感慨が湧いてきました。
授業にあまり行かず、かつさほど社交的なタイプではない私は、大学ではあまり友達ができませんでした。スチュワーデス(当時の言い方。今で言うCA)や女子アナになったような、綺麗どころの女子大生達に対しても、また地味で真面目そうな人達に対しても、“自分とは別種の人達”という感覚を抱いていたのであり、どちらの仲間にも入ることができなかったのです。
しかし30年の時が経つと、そのような感覚を乗り越えられるようになった自分がいました。若い頃は、自分と少しでもタイプが違う人との間には壁を作っていたのが、今となっては「皆、同じおばさん/おじさんなのだ」という同胞意識が強くなり、誰とでも愛想よく(個人の感覚です)話すことができるようになっていたのです。
年をとることの醍醐味は、その辺りにあるのかもしれません。スチュワーデス・女子アナ系のキラキラ女子も、長く生きることによってキラキラ感にそれなりのくすみが加わっていぶし銀の魅力に転換、親しみやすい雰囲気に。一方で、真面目そうだった人々は、話してみれば意外と面白い人だということがわかったり。
そんな真面目女子と久しぶりに話して、
「順子は授業中、いつも寝てたよねー」
と言われた私。その時に私は、「いつも寝ていた」という事実よりも、「私のことを『順子』って呼んでくれる人がいるんだ!」ということに、いたく感動したのです。「酒井さん」やら「酒井」と呼ぶ人ばかりの中で、「順子」という言い方が、何と新鮮に響いたことか。
会の最後には、応援団による校歌や応援歌が披露されました。現役大学生の応援団とチアリーダー、及び30年前に卒業した応援団とチアリーダーの共演となりましたが、脚の長さから動きのキレまで、現役と50代の差は歴然。現役大学生達からほとばしる若さが眩しくて目が潰れそうなのですが、しかし現役に負けじと頑張っている同級生達に嗚呼、シンパシイ……。
そういえば応援団の団長だったS君は30年前の夏、神宮での野球部の応援が忙しいというのに、マイナー体育会の我が部の試合の応援に、それも遠く茨城の会場まで、駆けつけてくれたのだっけ。
「あの時は本当にありがとう」
と30年ぶりにお礼を言うと、思わず目頭が熱くなってきます。涙腺が緩みがちというのもまた、お年頃というものでしょう。
「とんでもない! あの時は楽しかったよ」
と語るS君は、相変わらず爽やかな、永遠の好青年だったのでした。
- 1
- 2
Comment