こんにちは、編集・川端です。三連休、いかがお過ごしですか。私も久々の予定のない連休です。お片付けしてます。

ハロウィンはいかがお過ごしでしたか? とくに何の仮装もしませんでしたが、カボチャ色を着ていったところ「バタやんは常時コスプレ感があるよね」と会社の人に言われました。トリック or トリート!

このところちょっと考え事をする時間が必要だなと感じて、予定をあまり詰め込まないようにしてたんです。もともと”およばれ好き”な性格のため、あっちこっちと御座敷の声がかかればかかっただけ全出席みたいなタイプなのですが(汗)。お酒を飲んじゃうと考え事ができないし、読書もできないし……。気乗りのしない会食やイベントごとで自分のカレンダーを埋め尽くすのはやめようと思った次第……。

そうしたら、ポッカリ空いていた予定に、久しぶりの人から思いがけないお誘いがあったり、偶然憧れの人に居合わせたり、もしよかったらとチケットを頂いたり、棚ぼた的な出逢いがいろいろとやってきたのでした。

最近読んだ本『身体の言い分』に「今の自分を肯定する」という章があって、こんなことが書いてありました。

「いるべき時に、いるべき場所にいる人間としての自分をきっぱりと規定する。今、ここを肯定するというところからでなければなにも始まらない」

今、ここにいる自分というのは「いるべき時に、いるべき場所にいる自分」であって、すでに肯定されるべきもので。まだまだ違うどこかや誰かを求めてジタバタしなくていいんだなと思ったんです。

『身体の言い分』は人気哲学者の内田樹さんと身体を整える三軸修正法を提唱する治療家の池上六朗先生の対談集です。帯には「チャンスはつかむものではない。やってくるものである。」とあります。

「ご縁」というのは英語でcallingとかvocationとか、天職/召令という意味もあるけど「呼びかけ」ってことですよね。天職とか運命の人というのは、つかみ取るものじゃなくて、向こうから「あの、ちょっと手を貸してもらえませんか」とお呼びがかかるものだと。

こちらはできるかわからないけれど、あるいはお役にたつかわからないけど、相手には「できそう」に見えてる、という状況。なんとなくわかります。

私に、「電車の網棚にあげた荷物とってもらえませんか?」と頼む人はいないけれど、「プレゼントにいい洒落た絵本、何か選んで」とか、「外国人に喜ばれそうな和食で個室があるお店教えて」などと頼む人はいます。私でいいのかな……と思いつつ、まあせっかく聞いてもらったからとおすすめを見繕ったりするわけですが。

「何か縁があって触れた仕事というのは、無意味に触れてくるわけではないから、必ずできる仕事なんです」

と池上先生。呼びかけがあったら、臆病風に吹かれて後ずさっちゃダメ、と説く二人の先生。

でも多くの人が(若い、歳とってるに関わらず)、自己評価が不当に低い一方で、自分で人生を選べると思っている選択能力は過大評価している、というお話も。

自分で選べることは少ないけれど、周りの人ができそうと思ってくれることは意外と多いってことでしょうか。

うちの会社には、新入社員に指導社員という先輩トレーナーがつく制度がありまして。その人に言われて、今も印象に残っているのが

「“今ちょっといい?”って、人から何かをいつでも頼まれやすくあれ」

と。見るからにテンパってる後輩に雑用を頼むほど先輩たちも鬼ではないから。話しかけられやすい雰囲気を醸し出すのは新人の大事な仕事、という話だったと記憶しているのですが。

頼まれやすいって、損なようでいて、とくをすることが多い、とこの歳になってわかります。

そして今は、年上の立場なことが多くて、年下の人から「今ちょっといいですか」と言われやすくあろう、とまた思うのです。

こんなふうに、いるべき時に、いるべき場所にいて、今、このブログをたまたま読んでいるあなたは、まずとてもラッキーで、呼びかけられているってことです!