酒井順子さんによる書き下ろしエッセイ。同級生からの「実は……」という打ち明け話は予想と反して……。

女友達の打ち明け話で自覚する「まだ」と「もう」【初孫ショック・前編】_img0
 


人生の新しい幕開けを告げる友人の告白


同い年の友人と久しぶりに会って、食事をした時のこと。

「ちょっと、話があるんだ……」
と真面目な顔をしているので、「不倫をしてしまった」とか「離婚することになった」とか、そちら方面の話かと思って身構えていたところ、彼女が口にしたのは、
「実はね……、私、孫が生まれたの」
ということだったではありませんか。

全く想定していなかった打ち明けの内容に、思わず、
「ま・じ・で!」
と、叫んだ私。そして、不倫だ離婚だといった事象しか思い浮かべることができなかった我が身を恥じた。

50代前半の女に孫がいるのは、全く珍しいことではありません。ヤンキーの世界においては、10代で子を産むヤンママがしばしば見られるものですし、それが二代続けば30代で祖母に、三代続けば50代で曽祖母になることができるのです。

ヤンママでなくとも、24歳で産んだ娘がまた24歳で子供を産めば、48歳の時には孫が誕生することになります。人生50年の時代は、それくらいの年齢で女は子を産み、そして孫を抱く幸せを味わってから数年経った頃に、この世から退場していたのでしょう。

しかし、時代は変わりました。日本人の寿命は延びて、平均初婚年齢も、どんどん上がっています。特に私は、日本有数、否、世界有数の晩婚地帯(=東京)に非ヤンキーとして生まれ育ったため、友人達を見ても、20代後半で第一子を産んだという人がトップランナー。ヤンママよりも10年ほど遅い子産みです。その時に生まれた子供達はまだ結婚していないので、身の回りに孫がいる人が存在しなかったのです。

バツイチである夫の連れ子に孫が生まれた、といった話は、かつてありました。
「えっ、○○ちゃんって、義理の関係とはいえ、もうおばあちゃんになったの!」
と、その時も軽いショックを受けたものですが、血を分けた実の孫を持つ人がとうとう出現したというニュースがもたらした驚きはその時の比ではなく、新しい人生ステージの幕が開いたかのよう。隠し子ならぬ「隠し孫」に驚く年になったか……と、自分の年齢を改めて実感することとなったのです。


「おばあちゃん」?「ばあば」?


友人によれば、彼女の子供はまだ学生のうちに、いわゆる「できちゃいました」という状態になり、色々あったけれど結婚して産むことになったのだそう。

「だから、何となく言いづらくて今まで黙っていたんだけど」
ということではありませんか。目の前にいる彼女は、二十代の頃と変わらず可愛らしい雰囲気なのだけれど、そんな彼女は既に「祖母」。……という現実をすぐには受け止めることができず、
「おめでとう! もうおばあちゃんだったなんて、すすす、すごいね!」
と、私はアワアワしながら寿いだのです。

そんな彼女に、
「やっぱり、孫って可愛いの?」
と問うてみると、
「そりゃあもう」
と、スマホで写真を見せてくれました。孫の可愛さを語るという行為は、自分とは違う世界の人、すなわち「高齢者」がするものだと思っていた私は、自分と同じ位置にいる人が大泉逸郎ばりに孫の可愛さについて語るということに戸惑いつつも、やはり赤ちゃんは可愛いもので「いいなぁ」と思った。孫なら、いてもいいかも……。

彼女はもちろん、孫に自分のことを「おばあちゃん」とは呼ばせていません。私の母親世代くらいから、「おばあちゃん」を拒否して「ばあば」と呼ばせる人が増えてきましたが、私達世代となると、
「『ばあば』とか言われるのも嫌じゃない? だから、『まりちゃん』って、名前で呼ばせるつもり」
とのことでした。昨今、親子関係がフラット化していると言いますが、今や祖父母と孫の関係も、限りなくフラットになっているようです。


女友達のシモ関係の事象のステップアップ


思い起こせば四十余年前、小学校の高学年の時代に、
「実は生理になったの」
といった告白を初めて友達から聞いた時のびっくりした気持ちを、私は覚えています。
シモ関係の事象については、知識だけは豊富な耳年増ではあったものの、肉体的にも実体験的にも遅熟傾向にあった私は、「えっ、もうそんなに先に行っている人がいるの!」と思ったのです。

高校生にもなれば、
「実はこの前、○○くんとAしちゃった」
とか、
「Bまでいった」
とか、
「とうとうCに到達!」
みたいな話も耳にするわけで(ABCとは何なのだ、と思う方は、お近くの50代にお尋ね下さい。皆、親切に教えてくれると思いますが、「B」については説明されても意味不明かも)、いちいち私は「もうしちゃったの!?」と、友の早熟ぶりに驚いていたのです。

そうこうしているうちに自分も性的にアクティブになったわけですが、それ以降の長い人生の中では、
「実は生理が来ない、どうしよう」
と友に言われて共に善後策を練ったこともあれば、
「実は結婚することになった」
と聞いて、喜び合ったこともありました。さらには、
「実は離婚することになったから、保証人お願い」
ということもあったし、だいぶ大人になってからは、
「実は深刻な病気になってしまって……」
という告白も聞くように。

友人から様々な「実は」を聞いて、私はいちいち、「もうそんなに!」と驚きつつ、自分が立っている人生のステージを実感してきたわけですが、ここにきてとうとう、「孫」。私には子供がいないので、子供の成長を見ることによって自分の立ち位置を実感することがありませんが、今回もまた、友人の立ち位置を見ることによって、自覚を深めることとなりました。

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少子晩婚化がすすむ昨今、孫は贅沢品!? 孫アリ族と孫ナシ族には、子アリ・子ナシのような分断が起こるのか……。「初孫ショック」は後編に続きます。
後編は、12月24日公開予定です。

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