実際に起きた幼児置き去り事件を描いた前作『つみびと』で、「子供に愛情を注ぎたいのに注げない地方のヤンキー母親についてとことん書いたから、次は東京の山の手のハイブローな世界に逃げ込みたくなった感じでしょうか。母親と三姉妹の4人で谷崎潤一郎の『細雪』みたいなイメージだったのですが、実際に書くと思惑通りになんていかないのが小説で……」。新作『ファースト・クラッシュ』についてそう語るのは、作家の山田詠美さん。自身の小説では常に描いてきた「心を打ち砕かれる瞬間」が、最も如実に経験できるもの――「ファースト・ラブ(初恋)」をモチーフに描いた本作は、山田さん流の「恋愛の醍醐味」を描いた作品でもあります。

 


恋愛の醍醐味は「ひれ伏させること」でなく「ひれ伏すこと」


なぜ「初恋」を描いたのか、まずはその問いに、山田さんはこう答えます。

「個人的には、相手が変わればすべての恋が”初恋”だと思うのですが、それとは別の肉体関係が“ない恋”という意味での【初恋】について言えば、“ある恋愛”よりもっと邪(よこしま)な感じがするんですよね。大人になると、身体から始まるほうが話が早いという部分がありますが、それを知らないから、欲望をただただじっとこらえる。その胸苦しさで妄想が掻き立てられ、逆に性的な匂いがまとわりつくような」

 

作品の舞台は、裕福で優雅な山の手の高見澤家。そこに父の愛人の連れ子である新堂力(りき)が同居し始めるところから物語は始まります。母親の死で天涯孤独となった彼を、父は無邪気にも引き取ることにしたのです。当初、母親と思春期の3姉妹にとっての力は、まるで「汚い下僕」。ところがそうしたパワーゲームのような生活の中での生存戦略を身につけた力は、彼女たちに表面的にひれ伏しながら、その心をどこか悪魔的に翻弄してゆきます。

「一番楽しんで書いたのは高飛車だった三姉妹が、力によってギャフンと言わされるところですね(笑)。恋愛ってパワーゲームで、Sだった側が気付けばMになってたりする。でも相手をひれ伏させることより、相手にひれ伏すことのほうが、恋愛では快楽なんです。昔、SMの女王様のバイトやっていたことがあるんですが、高度な奴隷は“いじめられてる”んじゃなくて“いじめさせてやってる”んです。作家の大先輩である河野多恵子先生も『みいら採り猟奇譚』という素晴らしい作品の中で“SよりもMのほうが技術がいる”と書いていますし、谷崎の『春琴抄』の佐助もそうですよね。盲目のお嬢様・春琴に、どんなに高飛車につらく当たられても、彼女は自分がいなければ何もできない。本当のプライドがある人間にとっては、ひれ伏すことなんてどうってことないし、恋愛する二人には、はた目からはわからないものがあるんです」

そうであってこそ、その関係は、唯一無二なものに、そして分かちがたいものになっていくと、山田さんも考えているようです。

 
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