年齢を重ねるたびに、にじみ出る男らしさと色っぽさ。30代を迎え、どんどん凜々しくなっていく俳優の瀬戸康史さん。スリーピースのスーツを着こなす姿は「可愛い」なんて黄色い声を上げられないぐらいダンディです。甘いベビーフェイスの殻を破り、パブリックイメージを更新し続けるその陰にはいったい何があったのでしょうか。

(この記事は2019年7月24日に掲載されたものです)

 

瀬戸康史 1988年、福岡県生まれ。2005年デビュー。以来、映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍。映画「寝ても覚めても」、「ミックス。」、NHK連続テレビ小説「まんぷく」、TVドラマ「透明なゆりかご」「海月姫」など話題の作品に多数出演。舞台「関数ドミノ」では、平成29年度(第72回)文化庁芸術祭演劇部門 新人賞を受賞。9月13日公開の映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」に伊馬春部役で出演。11月には舞台「ドクター・ホフマンのサナトリウム ~カフカ第4の長編~」への出演も控えている。

 


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「可愛い」と言われることに、「そればっかりだな」という気持ちがあった


「周りのイメージと、自分の見せたい自分とのあいだに違和感というのはずっとありましたね。どうしても顔が幼いんで、なかなか男らしくなれないというか」

そうかつてのイメージについて語りはじめた瀬戸さん。10代から20代前半の頃は、天使のようなあどけなさで、多くの女性たちから「可愛い」と愛されました。

「もちろんそう言ってもらえるのはうれしかったです。けど、やっぱり“可愛い”って表面的なことだと思っていたし、そればっかりだなっていう気持ちもありました」

そもそも性格的に「キャピキャピするのは好きじゃない」のだそう。確かに、目の前で話をする瀬戸さんは落ち着いていて、理知的。インタビュールームを出るとき、最後に「ありがとうございました」と一礼を欠かさないところにも、真面目さや堅実さが覗き見えます。

「でも、人がどう思おうとその人の自由。実際、“可愛い”というのが自分のイメージだし、そこしか武器がないんだから仕方ないって。そういう自分も自分なんだと受け入れられるようになったのが、24~5歳の頃。そこから楽になれたし、狭まっていた視野が広がった感覚はあります」

 
 

自分を縛りつけていたように思えた「可愛い」というイメージ。それに抗おうとしているうちは逃れることができなかった。けれど、潔く受容することで、自然と自分らしさを出せるようになりました。

「たとえばブログを書くときも昔は☆とかを使っていたんですね(笑)。でも、そのあたりからそういうのは全部やめて、淡々と自分の考えていることを書くようになりました。そういうところからですね、そのままの自分を出すことを意識しはじめたのは」
 

今はもう誰かにどう見られたいというのは気にしなくなった


そんな瀬戸さんが今、全身全霊を傾けているのが、現在放送中のドラマ『ルパンの娘』(フジテレビ系)。深田恭子さん演じる泥棒一家の娘・三雲華と、瀬戸さん演じる警察一家の長男・桜庭和馬。絶対に結ばれることは許されない現代版“ロミオとジュリエット”による身分違いのラブコメディです。もしも瀬戸さんが和馬のように許されぬ恋におちたら、どうするのでしょうか。

「突っ走るんじゃないですかね。やはり人生一度きりですし。こういう仕事なんで、いろいろ通さなきゃいけない部分はもちろんありますけど、年をとっていくにつれて、周りに流されるのではなく、自分の想いで行動したり決めたりすることが大事だなと考えるようになりました」

それは少し意外な答えのようにも思えました。なぜなら、若いうちは無軌道に突っ走ることができても、年齢を重ねるほど、人は世間や保身のことを考えて、臆病になってしまうと思ったからです。

「僕も本来は臆病なタイプではあると思うんですけどね。たぶん長くこの仕事を続けてきて、自信みたいなものを少しは持てるようになったというのもあるかもしれない。今はそんなふうに大切なもののために自分を貫き通す生き方ができたらカッコいいなって思います」

 

自信みたいなものを少しは持てるようになった――その言葉を聞いて、瀬戸さんがかつて話していたことを思い出しました。もともと芸能界に入ったのは、ピアニストの夢を叶えることのできなかった母親が、瀬戸さんに表現者という夢を託したことがきっかけ。デビューのチャンスを掴んだ「第2回D-BOYSオーディション」に履歴書を送ったのも、瀬戸さんのお母さんでした。

「自分で望んで入った世界じゃないということもあって、17(歳)で東京に来てからはずっと殻に閉じこもるようになっちゃったんですよ。地元の福岡にいた頃は社交的で明るい性格だったんですけど、芸能界に入ってしばらくは誰とも関わらないような生活で。今までの自分じゃないみたいな感じがして、ずっと苦しんでいました」

 
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