一方で、加害者に共通する成育歴として①機能不全家族で育ち自身が虐待されていたなどの経験を持つ、②学校でいじめの被害者であった、③同年代女性に受け入れてもらえなかったり、受け入れてもらえないだろうと考えたりするという挫折経験があった、などの「逆境経験」があることがあげられていました。

そのように目を背けたい辛い現実があるときに、児童ポルノなどのトリガーがあると性的嗜好のパンドラの箱が開いてしまい、それに依存症的にはまってしまうという生々しいプロセスが当事者たちの語りから明らかにされており、児童ポルノがなぜ規制されるべきかについて非常に説得的な議論がされています。

伊藤詩織さん訴訟と教師わいせつ事件の共通点。「認知の歪み」を社会が強める日本の絶望_img0
 

そのうえで、加害者を社会的に排除してしまいたい、一生刑務所に入っていてくれと思う気持ちも分かるけれど、現実的には、社会に戻ってくる彼らを孤立させることはストレス環境を生み再犯のリスクをあげてしまうこと、また原因が育った背景にあるからといって彼らにも責任はあり容認するわけではないが、社会的に学び取って強化してきてしまった嗜好であるがゆえに治療を続けることができれば回復はできる、というスタンスで著者は治療の意義を唱えています。

さらに本著では、日本社会が男尊女卑で、男性は性的欲求を満たしてもらえるもの、受け入れられるものであるべきという規範が根強く、そのために弱くてかわいいものが性欲を満たすために存在しているかのように描かれている「ペドフィリア傾向社会」であると論じています。

子どもの目にも触れるような場所にあるコンビニの雑誌や、街中のポスターなどで、性的対象化される女性。日本での児童ポルノの規制は他国に比べて弱く、世界に大きく出遅れているのが現状です。表現の自由や性的指向は認められるべきである、という話と、そのために他者が道具化されていいのか、そうした表現が世の中に溢れていていいのかという話は別問題です。

2020年、オリンピックやその後の景気などで話題は持ちきりとなりそうですが、世界中からゲストが訪れる都市であるからこそ、恥ずかしいジェンダー後進国を脱する契機にしたいものです。

 

 
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