1月31日から配信スタートされたNetflixによるテイラー・スウィフトのドキュメンタリー作品、『ミス・アメリカーナ』を視聴しました。

聖子ちゃんとテイラー・スウィフト、ヴィクシーのセクハラ問題から「女の生きづらさ」を考える。_img0
写真:Charles Sykes/Invision/AP/アフロ

正直言って、これを観るまではテイラーの魅力が今ひとつわかっていなかった私。可愛いけど歌はそこまで好みじゃないし、カニエ・ウエストやケイティ・ペリーなどのセレブとよくケンカしているイメージから、「気が強くてもしかしたら性格が悪いんじゃないか」などと、マスコミの報道や世論を鵜呑みにしていたところがあったのですね。

だけどファンでもないのに、番組開始3分後くらいから最後まで泣きっぱなし。それは、テイラーはすべての女性と同じように「生きづらさ」を抱えながら生きていて、その痛みを乗り越えて今の成功を手にしたことが、克明に描かれていたから。

想像していたような「セレブのキラキラストーリー」ではない、幼い頃から「いい子になりたいと願って生きて来た」ひとりの女の子が、いかに世間に自己肯定感を打ち砕かれて自信を失くし、そこから再び強い自我を手に入れて再生したか、という物語が、そこにはありました。

少女時代からカントリー歌手を目指して、母親と二人三脚でがんばって来たテイラー。17歳で憧れのカニエ・ウエストと並んでMTVのビデオ・ミュージック・アワード(VMA)の舞台に立ち、最優秀アルバム賞を手にしてキャリアの頂点に立ったと思った瞬間、カニエから「この賞に相応しいのはビヨンセだった」と世界中の観客の前で言われ、奈落の底に突き落とされます。

まだ若い女性歌手だというだけで、人前でこんな屈辱的な態度を取られたことだけでも辛いのに、その後もカニエが彼女をディスり続けたことで、マスコミや世間からのテイラー・バッシングはエスカレートしていきます。

自分の才能に対する自身喪失。少しでも太ると体型批判されることからの摂食障害、などなど。テイラーが直面する問題からは、若い女性の自己肯定感が、他人からの評価によってどんなに容易く、あっという間に崩れ落ちるものなのかという脆さと怖さを感じます。

「女の子は可愛くニコニコ笑って、無駄なことは口に出さずに、感じよく生きなさい」。そんな風に、無意識に親や世間から刷り込まれ、期待されて来た、「女はこうあるべき」という型にうまくハマることができないとき、我々女性は、罪悪感を感じて苦しみます。それは外見や生き方など、様々なジャンルにおいて。私自身は人目をあまり気にしないで自由に生きたつもりでいたけれど、テイラーが踠いている姿を観ていたら、「これは私たちみんなの物語なんだ」と気づいたのです。

「賞賛のために生きると、喜びや達成感を他で得られなくなるわ。たったひとつのミスで全てが壊れる」。

そのことに気づいたテイラーは、「いい子ちゃん」で生きて来た人生を、カニエの一件と、最愛の母親がガンを患うという出来事から改めて考え直し、価値観を一変させていくのですが、そこからの、強い大人の女性として再生していく姿が素晴らしかった!

私事でありますが、実はこのドキュメンタリーを観る直前まで、仕事のために聖子ちゃん(とあえて呼ばせていただきます)漬けの毎日を送っておりました。朝から晩まで聖子ちゃんの曲や動画をチェックし、聖子ちゃんの生き方に想いを馳せる。ーそんな日々のあとに鑑賞したこともあり、世間のバッシングに負けずに自分の歌を発信し続けるテイラーに聖子ちゃんの姿が重なって、涙が止まらなくなってしまいました。

聖子ちゃんも私生活では散々叩かれた(もしくは現在形で叩かれている)けれど、世間の声を気にせず、自分が欲しいものに手を伸ばせる強さを持った人。けれど、聖子ちゃんが出産しても引退せずに歌手を続ける選択をした80年代、アイドル歌手が自分の意思を貫いて生きるって、どれだけ大変なことだったんだろう、と。

 
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