スタイリスト、ミモレコンセプトディレクターの大草直子が着こなしのアイデアや日々の思いを綴ります。

婦人の「モテ」を今一度真剣に考えてみよう【スタイリスト大草直子】_img0

最近、「婦人のモテ」を考えます。ただし、自分がモテるのかモテないのか。は、あえて考えないようにしよう(笑)。モテ=不特定多数の異性にちやほやされる――みたいなことであれば、「あんまり興味はない」と言っておこうかな。いや、20代の前半とかはあったのかな。どうだったかな。10代までかな。少し、きっと大分変わっている自分が、多くの男性には受け入れられないかもしれない、それで良い。「自分の変わっているところや個性を面白がってくれる人」と恋愛しよう、と思い始めたら随分と楽になりました。自分の天分として(容姿は一度置いといてね)「モテる」という要素はないだろうし、それで良いんだな、と思っていました(過去形)。

 

書き出しとかぶりますが、45歳を超えた頃から、今一度「モテ」を真剣に考えています。それは、「街を歩いていても振り返られなくなった自分が悲しい」とか「ナンパをされない切なさ」とかではなく。そもそも、あんまりそんな経験がないものだから(笑)、「されなくなったこと」を惜しんでいるのではないんです。

45歳を過ぎた頃から、モテ≠不特定多数の異性からの性的なメッセージで、むしろ惹かれるのは、その人のもつ清潔感、思慮深さ、優しさ、柔軟性、素直さ、エレガントさなのでは、と考え始めました。体型や顔の造作、髪型だけではなく、それらのエレメンツが異性を惹きつけるエッセンスになりうるのが婦人世代だと思うのです。そしてそれが事実であれば、「モテたほうが良い」。その場がパッと明るくなるような気遣いや、相手を委縮させない愛らしさや優しさ。「素敵ですね、その服に合っています」という言葉にすんなりと「ありがとう」と言える素直さ。お金はかからず、どんな人だって手に入れられる。そして、もしかしたら10代や20代の時は「男が好きな女と女が良いと思う女は違うよね~」というやっかみも含まれた揶揄やディスクライブは、もうありえなくなる。「モテる婦人」は、男からも女からも「モテる」。

そんな人を私は知っています。子育てと仕事で、記憶がないくらい忙しかった30代の私を、いつも優しく厳しく見守ってくれた人。こんなに「この人に認められたい」「役に立ちたい」と思った人は後にも先にもいません。さまざまなところに書いていますが、「元グラツィアの編集長」です。52歳でお亡くなりになった彼女のことを、今年に入って、よく思い出します。自分の年齢が最後に見た彼女の年に、毎年少しずつ近づいていきます。彼女のように、
「婦人のモテ」を羽衣みたいに柔らかくまとっていたいな、そうなれるように努力しよう、と最近よーーく思っています。

大草 直子

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