これはまったくの私見ですが、思えば「100日後に死ぬワニ」がここまで話題になったことには、その深層心理的な部分における新型コロナウィルスの感染拡大の影響があったんではないかなあと推測しています。

『100日後に死ぬワニ』きくちゆうき¥1000(4月8日発売)

 

観客が先に悲しい結末を知っている面白さ


「”来るべき避けられない死”を知らぬまま、平凡に生きる人々を描く」という運命論的な作品は結構多くあります。例えば大ヒットした『この世界の片隅に』は原爆投下の「広島8.6」、東日本大震災の「3.11」もおそらくかなりあるでしょう。海外作品なら「同時多発テロ9.11」をテーマに『ユナイテッド93』『セプテンバー・イレブン』、クリント・イーストウッドが電車内の銃乱射事件を描いた『15時17分、パリ行き』なんかもそう。名作揃いです。

逆説的でユニークだなと思うのは、こうしたタイプの作品は観客が結末を知ってるから面白い。普通の日常を描いただけで、観客が「あんた死ぬのに、先延ばしにしてる場合じゃないよ!」「ここでその選択をしなければ……」と、描いていることの何倍ものことを感じてくれる。なんの変哲もない日常を描いても、そこにある種のサスペンスが生まれるわけです。

「100ワニ」はまさにそういう企画。広く一般に知られたイベントを使わず「100日後に死ぬ」というのがちょっと新しいかな。「死まで◯日」というカウントダウンが逐一添えられているからこそ「テレビ見て笑ってるだけの4コマ」とか、友達を慰めるワニの「そう簡単に死なないよ」という言葉は、それ以上の意味を持つことになります。連載が始まった12月当初の盛り上がりは、これまで4コママンガにはない、その企画の勝利。

ここにかぶさってきたのが、新型コロナウィルスの世界的蔓延。1月に中国・武漢で騒動が始まり封鎖が1月23日、さらにダイヤモンド・プリンセス号の元乗客の感染が発覚したのが2月1日、2月中旬すぎにイタリアで感染が爆発し、韓国で集団感染は発生し、国内外の死者が増え始め、2月27日には安倍首相による全国一斉休校の要請。ワニが死ぬ100日目を向かえた3月20日の直前に、メディアが一斉に特集した「3.11」も影響したかもしれません。「死」の影がじわじわと少し忍び寄り、平凡で平穏な日常が急激に失われる中で、ワニののんきな日常はより深く、見る人の心に突き刺さったのではないかしら。


その後のメディアミックス展開が炎上したワケ


その後の「電通仕込み炎上騒動」は、それがどれだけ深く刺さったかの証左でもあります。いやまあわかるけど。100日で死を迎えたその余韻もさめやらぬうちに、矢継ぎ早にグッズとかコラボ曲とかが出てくる「メディアミックスで金儲け!」みたいな展開は、そりゃあ確かに興ざめ。でも「純粋な感動を台無しにしやがって!」と怒る人には、え?という違和感を覚えずにいられません。

そもそも作り物だし、主人公ワニだし。「感動の実話!」みたいな映画も、最初から最後までプロモーション仕込んだ作り物で、でもみんなそこに乗っかって楽しんでるわけだし。騒動を受けて配信された作者きくちゆうき氏&「いきものがかり」水野良樹氏の状況説明動画によれば、仕込みは一切なかったようですが、もしあったとしても、仮にもプロのイラストレーターが描いた作品を仕事(つまりお金)にしたとして、怒られる筋合いはなにもない気がします。だって芸術家は自身の悲しみや苦悩を作品にし、観客に感動を演出することで食っているものだったりするわけで。

にもかかわらず、なぜこんなことになったのか。
ひとつには、ネット上の「嫌儲」の人たちが、自身の「消費」(つまり、笑って泣いて心温まった末に「ああ面白かった」と忘れ去り、さっさと次へいくこと)に対してまったくの無自覚であること。特にネットの場合はお金を払っていないから、消費する側が「商品」としての意識を持ちにくく、ゆえにそれにかかった労力(つまり金)を想像しません。いずれにしろ「金のために描いたんじゃない」という情緒が、感動に一役買っていたのかもしれません。

そしてもうひとつは「100ワニ」が、「いい話」であったこと。ヘンな話ですが、私は東出昌大の不倫騒動を思い出しました。不倫はもちろんよくはないけれど、男社会の日本で、不倫でこれほど完膚なきまでに社会的に抹殺されたのは、おそらく彼がはじめてだと思います。桂◯枝だって渡◯謙だって、不倫騒動の後に普通に大河ドラマ出てたし。それはおそらく東出くんがあまりに「理想の夫」「理解あるイクメン」イメージだったからじゃないか。「100ワニ」への怒りは、「いい話だと思ったら結局金儲けかよ!感動した気持ちが踏みにじられた!」というものだったんじゃないかということです。

私個人としては、世の中の善意や美談は決して嫌いじゃありませんが、半分は信じていません。世の中は善意と美談では回るはずがないし、善意と美談に頼る状態は長くは続かないからです。そして善意や美談を好み、まるのまま信じ感動し美化する人は、全く信用しません。そういう人たちが無邪気に善意と美談を消費し、しばらくすればさっさと忘れ去ること、そして、時として善意と美談をなかば強要するのを知っているからです。辛い日々をどうにか支える善意、それを美化し称賛していい気持ちになってるだけでは何も解決しない。コロナ流行の時代に、心に留めておきたいところです。

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