なんか落ち着かない日々が続いていますが、読者の皆さんはお元気ですか。私は元気です。そもそも引きこもり気味のお仕事スタイルなので、家にいること自体にストレスは感じない、逆に「こんな時だから」とおうちで美味しいご飯をきちんと作り、買いためた和布でマスクをチクチクし、寝る前にはヨガをやり、そしてなぜかお仕事もそこそこ忙しかったりして、逆に妙に充実したりしています。
とはいえ世の中に満ちた恐怖と混乱に影響されないわけもなく、なんか頭が重い、まさか……なんて思ってしまうこともしばしば。1日数回の手洗いと体温測定、そして効果は定かでないものの、お守り代わりに「抗ウィルス作用がある」というアロマをたいたり、サプリを飲んだりーーおお、大丈夫そうにしてるけど、結構、精神蝕まれてるじゃんか、あたし!と、我に返り自嘲する毎日。
そんな中、フェイスブックに「なんだかちょっと風邪っぽい、これコロナだったらと思うと…」みたいなことを書いてる友人がいて、超共感。「私も!精神からやられてるよね~」と普通にコメントしたら、その友人のご友人に「自分の体調についてSNSで言わないほうがいい。セルフセキュリティのために」と窘められました。
まずは、善意でそう言ってくださった方に感謝を。でもビックリしたことも確かです。そもそも感染したとも、感染した気がする…とも言っていないし、感染したとしてもネットでは感染らないし。感染した気がしても、現状では検査はほとんどしてもらえず、「自分は無症状感染者かもしれないな」と自主隔離で家にこもることしかできないし。そして検査してもらえて陽性が出たとしても、「自分は軽症の無症状感染者なんだな」と、やっぱり家に籠もることしかできない。そして私は、そういう情報はオープンにしたほうがいいと思っているタイプでもあります。だって私の周囲の人や、私の家族の周囲の人に、感染の不安を払拭すべく、さらに感染を広げないよう、意識してほしいから。
ただ同時に「なるほどな」とも思いました。つまり自分が体調が悪い(「感染した」ではなく)と言っただけで、感染とは異なる「セルフセキュリティ」的な問題が生じる、そんな状況なんだなと。例えばそれがどういうことかといえば、あいつはどうやらコロナらしい、感染するなんて本人の自覚がないからだ、どうせ遊び歩いてたに違いない、迷惑以外の何物でもない、家族も感染しているに違いない、同じスーパーに来てほしくない、同じマンションで自主隔離なんて安心できない、どうにか出ていってほしいーー世の中はそういう精神状態にあるんだなと思ったのです。
そうしたことが医療従事者の家族に起きていると聞くにつけ、本当に心が痛みます。(「『絶対にマンションに入らせるな』住人の看護師さんの感染を疑ってバリケードが設置される」https://bunshun.jp/articles/-/37098)。感染の危険にフロントラインでさらされながら不眠不休で働いている医療従事者、その子どもたちが「感染してるんじゃないか」という差別にさらされていると。医療関係者の家族だけでもさっさと検査してあげられないのか、安心して仕事できるよう、そこだけでもきちんと預かってあげられるシステムと作れないのか。すでに実行されているけど私が知らないだけかもしれませんし、難しいこともあるのでしょうがーー私は門外漢ですし、まあその点は「とにかく早急に対処してあげてほしい」と訴えるだけとして。
私がここで気になるのは、特に東京の人に思うことは、まだ多くの人がどうやら自分を「感染(うつ)される側」と思っていることです。「経路不明の感染者」というのを噛み砕いて言えば、「『感染した側』と『感染された側』の間に誰がいたか、何人経由しているかが、さっぱりわからない」ということ。症状のある感染者は氷山の一角で、その影には多くの感染者がいて、それは自分である可能性だって全然否定できない。
こういうふうに気持ちがとっちらかりがちな状況において何かを判断する時、私は努めて「情緒」ではなく「理屈」で考えることにしています。「情緒」は確かにその瞬間は強く心に響くものですが、他の「情緒」によってすぐに揺らいでしまうし、長続きもしません。誰もが「そうだよね、医療従事者はすごく頑張ってくれている」とある瞬間は思っても「医療従事者に感染が増えているらしい。感染る!怖い!」にすぐ凌駕されてしまうし、「コロナが流行ってる!怖い」も慣れてしまえば「自分は感染らない気がする」になってしまう。
でも情緒を排した理屈は、頑強に明確に、選ぶべき選択を示してくれます。つまり、自分が感染者である可能性は否定できないし、医療従事者が働けなくなったら、自分や家族が重症化した時に助けてくれる人がいなくなるってこと。
根性論を含めた情緒が大好きな日本人は、こうした理論構築が苦手です。もちろん世の中が理屈だけで動くとは思いませんが、理屈が理解できないことは、情緒を解さないことと同じくらい問題。特に情緒が正常な判断を失いつつある時、理論構築ができなければ、ただ無根拠に右往左往するしかなくなります。日本人は「時間が解決してくれる」を万能薬のように使いがちですが、時間が解決するのは「情緒」の部分だけ、つまり気持ちが状況に慣れてしまうだけ。要するに思考停止と同じことで、本質的には何も解決しません。
政治家がポエムしか言えないのも、それを「頑張ってるんだから批判するな」とか言う人が多いのも、マスコミがそういう政治につっこめないのも、根っこはそこにある気がします。もっといえば、政治にがんじがらめにされた学校教育、特に公立学校が、そういう教育しかしないし、許されていないから。奇しくもウィルスによって教えられたこういう弱点を、アフターコロナの時代にも忘れぬよう。ひとりひとりの生き方、考え方が、変わっていきますように。
そして、不眠不休で私達を守ってくれている医療従事者に、エールを。
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