「この小休止は無駄じゃなかった」と、5年後10年後にきっと思い出す

0

年間を通して基本的にやる気のない私ですが、特にどーしようもなくやる気になれないのが2月。営業日数の少ない年末と年始、その嵐の後の虚脱状態に、天候の寒さと暗さが加わり、さらに「ニッパチ」ゆえの仕事の少なさも、フリーランスとしては憂鬱の種です。でも仕事もせずにモヤモヤ過ごすのもアホらしいので、毎年この時期は割り切って長めの旅行へ。今年は、奈良と京都を回ることにしました。

広さが際立つ平安神宮。

現在のような外出自粛要請が出る前のタイミングでしたが、すでに外国人観光客が激減した京都は、違う街のようでした。お客さんが少ないので、ぶらりと入ったお店では必ず無駄話。「外国人がいすぎるのも困りもんやけど」とため息をつく人もいれば、「こんな時に来てくれたし、これ食べてくださいね」とオマケを頂いたり。最も印象に残ったのは、京都の老舗わらび餅屋のおばちゃんです。彼女に言われたのは、わらび餅を食べ終わった後にたっぷり残る「きなこ」のこと。

 

「すごくいいきなこだから捨てないで、冷蔵庫保存でしばらくは大丈夫だから。私は毎朝ヨーグルトにかけてるんです。美味しいですよ」。

京都らしい贅沢さと、だからこそ物を無駄にしない「始末のよさ」に、私はなんだか「ほお…」となりました。

旅から戻った東京で、現実は日一日と悪くなっていきました。次々と封鎖される欧米の大都市、有名人たちの感染、ゴタゴタの末に延期が決定した東京オリンピック、外出自粛要請とともに買い占めに走る人々……そんな中で、相変わらずやる気のない、でもなぜかモヤモヤが晴れた私は、あの「わらび餅屋のおばちゃん」を思い出していました。うまくはいえないけれど、私は自分に必要なものはもう十分に持っているし、好きな仕事を好きな人達とやっているんだから、それを大切に手放さず、無駄にせず、始末良く生きていけばいいのだ、というような気持ちになっていました。

世の中でいろんなことが起こると、焦ったり、モヤモヤしたり、恐怖したりしてしまうけれど、それは私が私の中で勝手に増幅してしまった、実態のないものなんじゃないか。冷静に対処すればいいだけで、必要以上に反応してもいいことはないんじゃないか。つまり、焦り、モヤり、恐れるのは、私が、必要以上のものを「絶対に必要だ」と思いすぎているからなんじゃないか。そんな風にも感じました。

家の中にいる時間が否応なく長くなった最近は、ここ数年の忙しさで遠ざかっていた大好きなことーーお料理や洋裁を再びやり始めました。世の中の狂騒を尻目に、仕事もいいけど、お家にいるのも楽しいなあ……なんてのんきに言っていられるのも、まあ私が恵まれているからかもしれません。とはいえ、私は私の人生しか生きられない。この小休止は決して自分が選んだものではないけれど、せっかくなら5年後10年後に「あの時に感じたことは、無駄じゃなかった」と記憶できるものにしたいなあと思っている、今日このごろです。

あ、ミモレ5周年、おめでとうございます。読者の皆さん、今後ともどうぞ、ご贔屓に。

雨上がりに苔むす唐招提寺。


前回記事「「風」の時代に向けて、生き方を見直す絶好のチャンス」はこちら>>