コロナウイルスを巡る局面がまた変わってきました。私がいるシンガポールでは、2月下旬~3月頭ごろ、一度新規感染者数は落ち着きつつありました。国内で大規模クラスターが一件発生し、政府は「具合が悪かったら集会にいかないで」と再三注意喚起をしていましたが、学校等は当初から中国渡航歴がある教職員や生徒を2週間自宅待機にするなど厳重に管理していたため「安全な場所」とされていました。

 

2月末、日本が急に休校要請を発表をしたときには、相対的にみてシンガポールは事態をコントロールできているという感覚がありました。その後、日本も渡航自粛先に指定され、むしろシンガポールにいる日本人にとっては、シンガポールにいたほうが安全かもしれないという空気が広まっていたくらいです。

ところが、シンガポールにとっても想定外だったのはその後の欧米経由での感染拡大です。海外からの帰国組や、2月中に欧米に帰省や旅行をしていた人から再び感染が拡大し、新たなクラスターも複数発生。現在はあらゆる国からの入国が基本的に禁止されることになり、また、封鎖にはなっていないもののあらゆる場所にSocial Distanceを取るためのシールが張り巡らされ、映画館などは閉鎖となりました。

マレーシアやフィリピンでロックダウンがされるなか、シンガポールは公立学校の休校や封鎖は避けてきたのですが、この欧州経由の感染拡大にともない、欧米系の教職員や家庭が多いインターが次々と休校を決め、ローカルの公立学校も、今後事態がより深刻になった時のために、週一回オンラインラーニングを実施することになりました。 この波は我が家にも押し寄せ、ついに息子のインターの先生が陽性になり、休校が決まりました。

息子の学校ももともとオンライン学習ができる準備を進めていたところで、当初二日は宿題がでて、三日目からはZoomなどを使った自宅学習が開始されました。当初はやはり親の負担がかなり重く、ツールを使いこなすのに先生側も家庭側もかなりの試行錯誤が見られました。先生たちは検査を受ける必要もあり、さぞ大変な想いをされたと思います。

ただ、前向きにとらえるとすれば、オンライン学習をしてみたことで、息子の学習の様子を間近に見ることができたことは有益でした。普段どのようなことを学んでいるのか、本人はどういうときにモチベーションがあがって、どういうときにストレスを感じているのか等、今まで見えていなかった我が子の特質もこれまで以上に観察できた気がします。

 

また、家庭の状況によって格差がでてしまう側面は否めないものの、自宅で遊べる工夫をするためにカルタなど色々な遊びをいつも以上に意識して探すことができたこともポジティブに捉えています。

かつてのアグネス論争に象徴されるように、近代日本の家族と雇用制度は公私分離規範というものが非常に強く、仕事場に子どもがいることが非常にネガティブに捉えられがちです。でも、今回は親が在宅勤務で、子どもも在宅学習をしているような状態。子どもは子どもで、きっと親が仕事を普段どのようにしているのか目にするいい機会になったと思います。

多少うしろで子どもの声がしても、皆状況を理解しているから問題になんかならない。もちろん休校しても親は休めないという状況もあって、できるだけ避けるべき事態だとは思いますが、これを機に、働く人たちにも彼らの生活があり、家族があること、それを見せないようにすることが働き手としての美徳というふりをするのではなく、当たり前に様々な事情があることを理解できる社会になるといいと思いました。

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