酒井順子さんによる書き下ろしエッセイ。充実した中高年ライフを送るために50代から蓄えておきたい3つの「キン」=筋肉、近所の友達、お金。努力をすれば身に付く「筋肉」、再び個人のコミュニケーション能力が問われる「近所の友達」……後編では、最後の「キン」の蓄え方について考察します。

次に私にできる仕事【3つの「キン」・後編】_img0
 


「なんかお店がしたい」という夢


そんな中でもう一つの「キン」であるお金は、人を人格によって差別することがありません。明るい人にとっても暗い人にとっても、また心の清い人にとっても濁った人にとっても、1万円は平等に、1万円の価値を持つのです。

 

お金は筋肉と同様に、努力をすればそれなりに身につくものでもあります。少しの努力で大量のお金を儲ける人もいるものの、それはレアケース。濡れ手で粟を目指さなければ、コツコツと働くことによってコツコツとお金を得ることはできるのです。

そんな中で50代がモヤモヤとしているのは、老後資金のことでしょう。今や、「老後」と聞けば「不安」という単語しか思い浮かばない時代。不安の内訳を探ってみると、そこにはのびすぎた寿命の問題が横たわっています。100歳まで生きる可能性も大、という世において、どれほどお金を貯めておけばいいものやら、誰も見当がつきません。

家族の手によって人が看取られるのが当たり前だった時代は、今のように寿命が長くはありませんでした。とはいえ家族、それも特に嫁にかかる負担は相当であり、嫁という立場の人を「文句を言わず、お金も要求せずにひたすら働く」という役割にはめ込んでおいたからこそ、成立していたのです。

しかし嫁のただ働きだけに頼るには、日本人の寿命は長くなりすぎました。介護保険とお金とがそれに代わるようになったわけで、家族を頼りにするよりは、お金を頼りにした方が安心。そして高齢者が貯めているお金をオレオレ(もしくは「振り込め」「母さん助けて」「特殊」とその名称は迷走しているが、私はやっぱり「オレオレ」がしっくりくる)詐欺が狙っている、と。

私達の世代も、いつまで続くかわからぬ人生を前に、とにかく「お金を貯めなくては」と思っているのでした。そんな中でしばしば出てくるのは、新たな仕事の話題。

この先、定年がさらに延長されたりすることもあろう。また早期退職の勧告なども、あるかもしれない。いずれにせよアラウンド60歳頃には、仕事に何らかの変化があろうという中で、「その次は、どうする」という話になりがちなのでした。

語られがちな夢は、
「なんかお店がしたいのよね」
というものです。隠れた人気番組「人生の楽園」など見ていると、田舎暮らしを楽しみつつ、母屋の隣に建てたカフェで手作りタルトを供する、といった生活への妄想が広がるのであり、私も「蕎麦と甘味の店をするって、どうかしらね」などと思ったことがありましたっけ。

しかしその手の夢を実現させる人は、多くありません。我々は、相手が素人だからこそ料理好きの主婦の料理を大げさに褒めるのであって、それに価格がついたならば、同じ賞賛を寄せるかどうか、わからない。50代のお店妄想は、子供にとってのままごとのようなものであり、そのほとんどは脳内でしぼんでいくのでした。
 

お掃除か、ファストフードか


となった時に、「現実的に可能な第二の仕事」を冷静に考えてたどり着くのは、
「お掃除か、ファストフード」
という結論なのです。

我が身について考えてみますと、会社員をしたことはあるもののたった3年であり、その間に何のスキルも身につけていません。組織の中で働くのが難しくて会社を早々にやめたので、リーダーシップや協調性もゼロ。
私が会社員だったのは、まだパソコンで仕事をする時代ではなかったため、エクセルもパワポも使用不可。パソコンスキルが無いと事務系の仕事はまず無理、ということになります。

そう考えますと、現実的だと思われる仕事は、やはりお掃除なのです。マクドナルドなどのアルバイトも、中高年が多いことが知られており、中には90代のアルバイトもいるのだとか。ハンバーガーを包んだりすることは、自分にもできるかも。もしできなくても、お掃除なら……という希望が。

しかしここで浮かび上がるのは、お掃除もまた、元気でなくてはできないということです。
知り合いの70代後半の女性は長きにわたって清掃の仕事を続けているのですが、やたらと元気です。元気だからお掃除ができているのか、長年お掃除をしているから元気なのか。両方なのかもしれませんが、彼女から私は常々、
「老後は掃除婦が最高よ!」
と言われているので、かなりその気になっている。

しかし彼女を見ていると、お掃除の世界においても、コミュニケーション能力の有無によって待遇は違ってくる模様です。明るい性格の彼女は、勤務先のビルにおいても、
「おはようございまーす!」
と元気な挨拶を欠かさない。すると、寡黙に掃除だけをしている人よりも重用され、時には雇用者からの特別ボーナスまで出るというではありませんか。つまり、ひいきされるのです。

コミュ力不足の私としては、掃除の仕事は人と話さなくてよさそうなところにも惹かれるのですが、やはりコミュ力が関わってくるのか……。
 

SNSにシェアされない蓄えと幸せ


かように悶々としながら、「次にできる仕事」を探している、50代。しかし、
「私なんか本当に、何もできる事ないのよ。体力も無いから、多分掃除も無理」
と呟く人が、実は誰にも言わずにFXの勉強をして、着実に儲けていたり。
「もうボケちゃってスーパーのパートには雇ってもらえないわ〜」
と言う人が、実は夫の実家が資産家で、派手に散財はしないけれど全く焦る必要がなかったり。

シワやらシミやらについてはあけすけに口にする人も、ことお金に関しては、本当のことは言わないのでした。無いフリする人もいればあるフリをする人もいるのであり、手の内が明かされることは無いのです。

お金のみならず、三つの「キン」はそれぞれ、どれほど貯めても他人からは見えないものなのでした。筋肉をせっせとつけても、服を着てしまえばそれとは見えない。SNSでアピールをしなければ、近所の友達にどれほど恵まれているかも、わからない。目に見えない部を自分でどうにかすることによって、50代はこれからの不安に打ち勝とうとしているのです。

「ポツンと一軒家」を見ていると、山奥の一軒家に、一人で住んでいるおばあさんが登場することがあります。夫には先立たれ、子供達は都会住まい。しかし長年暮らした山の中の家を離れ難くて一人で住んでいる、というような。

そんなおばあさんは、三つの「キン」のどれも持っていないように見えるのです。が、妙に幸せそうでもある。お金はなくとも畑仕事をして、ほぼ自給自足。ジムで筋肉を鍛えるわけもなく、腰は曲がっているけれど、どれだけ腰が曲がっていても、人に見られることはないので「かわいそう」と憐れまれることもない。そして人里離れた山奥なので近所の友達もいないけれど、
「他人のことは気にしないでいられるから、気楽だヨ〜」
などとおっしゃる。

そんなおばあさんを見ていると、三つの「キン」を求めて今からゼイゼイしている身としては、羨ましくもなってくるのでした。孤高のおばあさんとなるのも、また幸せなのではないか、と。一人であれば、コミュニケーション能力があろうとなかろうと、変わらないのですから。

3キン持ちを目指すか、孤高のおばあさんになるか。今後の行先はまだ不透明ですが、まずは自分の裁量だけでできる筋肉だけは、地道につけておきたいものだと思います。
 

前回記事「「おばあさん内カースト」を生き抜く【3つの「キン」・前編】」はこちら>>