悲しみを共有できる仲間と場を大事にしてほしい


そう考えますと、私たちにとって亡くなった人とのお別れとはどういうものなのか。今、私たちにはそれをあらためて捉え直す機会が訪れているのではないかと思うのです。果たして私たちが辛いのは、お通夜や葬儀ができないことなのでしょうか。遺体に会えないことが苦しいのでしょうか。「最後に一目だけでも」という気持ちはわかりますが、それはどうしてなのでしょう? 遺体になったその人とは、もう話などできないのに……。

おそらく私たちが葬儀やお通夜をおこなうのは、大切な人を失った悲しみをその場で皆と共有できるからなのではないでしょうか。ならば、「コロナ死」をいたずらに恐れるのではなく、悲しみを共有できる人間関係を確認したり築き直すことこそが、今すべきことではないかと感じたのです。死別の悲しみを共有できるほどの人間関係は、生きていくうえでもとても大きな力になるはずですから。

遺体との対面も許されない「コロナ死」。今こそ考えたい“後悔しない別れ”とは_img0
 

そして万が一にも大切な方を亡くしたときは、その仲間たちと悲しみを共有できる場を設けてほしいとも思います。今は直接会って話すことが難しい状況ですが、オンライン上で複数の人と集まり話をすることはできます。ですから「〇月×日△時に画面の前に集合して、あの人のことを話しながら飲もう」などと呼びかけるのはいかがでしょうか。そして「こんな人だったね」「あんなことがあったね」などと、その方のことを共に語り合うのです。もちろん、ウイルスが収まってから、三回忌などといった形で直接集まっておこなってもいいでしょう。「お別れの場」を設けることは、大切な方が亡くなられてから何カ月、何年経っていてもできることです。ですから、気持ちが落ち着いたら是非そういった時間と場を設けてほしいと思います。お別れとは、決して「死の瞬間」や「死のすぐ後」にしかできないというものではありません。


「死」を感じるには時間が必要


こうしてお別れの時間、場を設けることで、「死」は穏やかに、そしてあたたかく自身の中に入っていく。私はそのように思っています。

その人が死んだということを受け入れることには、「時間」も必要です。私は「死の余白」などと言ったりしますが、臨終という死の瞬間だけに意味があるのでありません。人には、“大切な人が死んだ”という事実を受け入れていく時間がどうしても必要なのです。

亡くなってから時間が経過していくと、ご遺体も少しずつ変化をしていきます。最初は生きていたときと変わらないように見えていたのに、だんだんと「遺体」になっていく……。そういった変化を見守ることを通して、親族や友人たちはその方が本当に亡くなったのだということを、ゆっくりと感じ取っていくことができます。そういう意味では、ご遺体と過ごす時間がほとんどないような新型コロナウイルスによる死は、とても辛いことだと思います。それでも先に書かせていただいたように、死別の悲しみを仲間と共有するなど、少しずつでもできることはあります。


未曾有の事態が教えてくれることは


私が一番にお伝えしたいのは「お別れを焦らないでください」ということです。それが、冒頭でお話しさせていただいた「死は、その前と後が大事である」の「後」のことです。

想像していたお別れとは違うかもしれませんが、どうか悲しみすぎないでください。大丈夫。亡くなられた方のことを振り返り、向き合い、考える時間はとても長くありますから。そしてそれは、誰にも平等に与えられた時間です。働いていたり子育てをしていたりしますと、とにかく毎日が忙しいですし、今は何事も目まぐるしく変わっていく時代ですから、常にスピーディーな決断を求められることが多いと思います。ですが「死」に関してだけは、誰も焦らなくていいんです。そのときにきちんとしたお別れができなかったからといって、自分を責めることもしなくていい。むしろゆっくりと、じっくり、深くお別れをしてほしいと思うのです。

そのためにも、自分の気持ちを語れる人間関係の再構築をしてほしい。そして、焦らず故人を偲ぶ時間と場所を設けてほしいと思います。たとえば葬儀の場などでは、子供は知らなかった親の顔を、親族や親の友人から聞くこともあります。そういった時間を経て、ゆっくりと故人があなたの中に入っていく……。今はお通夜や葬儀をおこなっても、そういった語らいの時間は少なくなっていたりします。弔いの形が変わりつつある時代だったからこそ、今回のコロナ禍は、弔うことやお別れの本質を捉え直す機会でもあると思うのです。

新型コロナウイルスの蔓延はたしかに大変な苦難ですが、そのように、様々な場で私たちに大事な“種”を落としていっているとも思うのです。こんなことを言っては辛くさせてしまうかもしれませんが、おそらくコロナウイルスとの闘いは短いものではないでしょう。だからこそ「頑張ろう」「乗り越えよう」だけではない見つめ方もしていただきたい。そのようなことを思い、今回この場をお借りしてお伝えさせていただきました。皆さまの不安を和らげる一助となりましたら、幸いに思います。

取材・文/山本奈緒子
構成/山崎 恵

 

 
  • 1
  • 2