私たちは人生100年時代の「自分らしい人生」を、どうデザインしていけばいいのでしょう?
多様な生き方・働き方を実現する女性専門の人材エージェントWaris(ワリス)共同代表の田中美和さんが、転職や再就職、独立などの「ライフシフト」を経験した女性たちのリアルストーリーを通じて、人生100年時代を生き抜くキャリアのヒントをお届けしていきます。
※文中の氏名は仮名です。
「それほど不安はなかったですね。自分の性格上、『未知の世界に挑戦したい!』という冒険心が強くて。東京へ引っ越してみてもいいかも、というアイデアが浮かんだときに、すぐ『そのためにはどうしたらいいか?』という方向に思考がシフトしちゃったんです」
当時をそう振り返るさおりさんは、40代に入ってから2人の子どもを連れて地方都市から東京へ移住するという一大決心をしました。当時働いていたのは、仲間と起業したベンチャー企業です。
「もともとは地方で創業したのですが、事業を続けるうちに東京でのビジネスの比重が高くなっていって。スタッフも東京支社のほうが多いくらいで。私も定期的に東京と行ったり来たりしていました。その頃から、必要なときに子どもたちのそばにいられないもどかしさがありましたね」
未就学児を抱えるなかでの出張の多い生活は体力的にも精神的にも厳しいものがあったと言います。そんななかで自然と生まれてきたのが「子どもを連れて東京へ移住する」という選択肢でした。当時の夫は仕事の関係で東京へ一緒に移住することは難しく、別居婚という形を選択しました。
上京して都会でのワンオペ育児。苦労はなかったのでしょうか?
「仕事でバタバタしていて下の子のお迎え時間に間に合わないかも……、ということは何回かありましたが、後悔したことはないんです。子どもたちが新しい環境に慣れてくれましたし、仕事もしやすくなりましたし、便利なことが増えました。子どもの教育面や時間の過ごし方など、細かい部分もふくめて選択肢が増えて生活の幅が広がりました」
さおりさんの人生において「移住」は、実は初めての経験ではありません。20代の頃はオーストラリアとイギリスにそれぞれ1~2年ずつ住み、仕事もしていました。東京にも2年ほど暮らしていたことがあります。
「『海外に行きたい』というのは、中学生の頃から目標にしていたことなんです。最初に入った会社である程度の経験と貯蓄をしたら、どこかのタイミングで必ずいこうと決めていて。その点は計画的でした。以降は、そのときの流れでなんとなく(笑)。運命のように『こっちにいくべきだ』というタイミングがあって、直感でその流れに乗っかってきた感じなんです。私は直感って大事だと思っていて、それにしたがうと多少困難なことがあったとしても乗り越えるエネルギーがわいてきます。ひとつひとつ困難をクリアするときに使ったエネルギーや努力が自分自身のスキルになり、成長につながっていく感覚が得られたことは大きな財産です」
その後、地元に戻り、Webサイト企画や翻訳業などでフリーランスとして働くうちに出会った仲間と、IT関連企業を起業したのが30代前半の頃。30代は結婚と2度の出産も経験しました。「今振り返ってみると、家族を形成することに重きをおいていた時期でした。自分なりの目標もありましたが、どちらかというと安定した子育てをすることに意識が向いていた気がします」。
そして、40代に入って東京への移住を決意。さらに40代ではもう一つ大きな決断をすることになります。10年以上勤めた会社を独立し、フリーランスになったのです。
- 1
- 2
Comment