コロナ離婚、なんて言葉も聞きました。在宅勤務でずっと顔を合わせているうちに、夫婦の関係が決定的に変わってしまうこともあるようです。

 不安になると、気持ちが落ち込むこともあるし、攻撃的になってしまうことも。それに子供のいる夫婦だと、家事や育児のシェアのバランスや、子供の健康管理に関する見解の違いも火種となります。ウイルス感染は命に関わる問題だから、手洗いなど感染防止対策のやり方でも不和が生じかねません。お前なんでそんな呑気なんだ!って腹立つこともあるでしょう。

 先日オンライン飲み会をした時にも、女友達が二人とも「夫と喧嘩して・・・」と愚痴っていました。「普段は外回りでバリバリやっているのに今は在宅で冴えない。その負のオーラが本当に嫌」「コロナ危機で勤め先が傾いたらどうしようとうじうじ悩んでばかりで、聞いているとイラつく」。二人ともデキる女なので、家にいる夫の体たらくを見て不甲斐なく思ったようです。

 あなたはどうですか?夫に対してずっと前から気になっていたことが我慢の限界を超えて、衝動的にぶちまけてしまった人もいるかも。でも今は、やりようによっては関係を更新するいい機会。ちょっと見方を変えれば、夫婦関係の再構築のチャンスかもしれません。 

 


私と夫は、オーストラリアへの教育移住という厳しい冒険の旅をともに歩む仲間であり、育児のパートナーとして、強い信頼で結ばれています。同時に、4年後に離婚すると合意した上で家族を続ける、エア離婚夫婦でもあります。これは長い話し合いの末に至った一つの夫婦の形です。


小島慶子さんの「学費ファースト人生」と「エア離婚」の本音>>>

これまで一緒に災害を乗り越えたことのある夫婦の間には何かしら、その時に深まった絆や、消えない傷があるはずです。私たち夫婦も、9年前に東日本大震災を経験しました。事態を軽く見る人もいる中、私たちは慎重に行動しました。地方に避難先もなく仕事の都合で東京を離れることができない中で、いかにしてリスクを最小にするかを真剣に考えたのです。

当時も「深刻に考えすぎ」「これまでのやり方でいいだろう」と言う人たちはいました。コロナ危機でも目の当たりにしている「騒ぎすぎだ」「様子を見てからにしよう」という態度。人命を最優先にせず、適切な対応を渋り、予想外の出来事から多くのことを学べるはずなのに「何も変わらなくていい」と言い続ける人たちがいろんな組織のトップにいる。私たち夫婦は、そのような社会に対して強い危機感を覚えていました。そうした意識と、行動を決める時の判断基準が一致していたので、不安の中でも深刻な不和に陥らずに済みました。

当時、震災離婚という話もありましたが、地震や原発事故に対する考え方の違いで修復できないほどの溝が生じてしまった夫婦もあるだろうと思います。
逆に、震災婚という現象も起きましたよね。人と人とのつながりや助け合いの大切さが盛んに言われていた時期に、一人で生きる心許なさを感じ、身近にいる人と一緒に生きていこうと決めた人が多かったのかもしれません。

そして9年後、コロナウイルスが全世界を不安に陥れています。ふだん、命や豊かさについて真剣に語り合うこともなく、人生の優先順位についてじっくり話す機会もなかった夫婦は、見えないウイルスとの長期戦に突入した今、改めてそんな話をするチャンスです。もちろん、これは賭けでもあって、それをあえて避けることで平穏が保たれていたのに、わざわざ危険ゾーンに突っ込んでいくことにもなりかねません。

でも、今話さなかったら、いつ話すの? 

 
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