前回、推しの顔について言及することのためらいを書かせていただきました。そうしたジレンマを踏まえた上で、今回は敢えてこう言い切りましょう、推しの顔が好きだと。好みの顔があるのは、人間ならばごく当たり前のこと。ロミオとジュリエットだって、ぶっちゃけ顔が好みだったとしか言いようがない。

 

しかし、そんな顔問題の先に、オタクたちをうっかり奈落の底に引きずり込むもうひとつの落とし穴があるのです。今回は、そんな落とし穴についてのお話です。
 

“顔が好みの推し”とは、人をダメにするクッションである


オタクにとって“顔が好みの推し”ほど厄介なものはありません。もうそれは実家を抵当に入れられているようなもの。多少引っかかることがあっても正直立ち向かえない。バラエティに出たときの対応を見て、あ〜実際は結構チャラいのかな〜と思っても、顔が好みだからしょうがないってなるし(でもつらい)、出ている舞台や映画がどんなに面白くなくても、とりあえず2時間顔を拝みにきたと思えばなんとか乗り越えられる(でもそのあとめちゃくちゃ怒ってる)。

だいたい何をするにしても顔が好みというだけで効果は二乗。“顔が好みの推し”が「おはよう」とつぶやけば、突然脳内でフジ子・へミングが『主よ人の望みの喜びよ』を弾きはじめるし、“顔が好みの推し”が笑えば、心のゴビ砂漠に薔薇が咲く。

“顔が好みの推し”って、ある意味でソウルメイトなんだと思います。最近はあの子の方が気になるな〜って別の人に心を移しても、結局戻ってきたとき、やっぱりこの顔が好き〜ってなるし。一時の昂りが嘘のように熱が冷めても、何気なく顔が目に入った瞬間、初めて出会ったときの地面が抜けるような衝撃が一瞬で甦ってくる。

どうしようもなくしっくりくるし、わけもなく心地よい。“顔が好みの推し”とは、実家であり、人をダメにするクッション。自分のサイズにぴったりハマるようにつくられたパズルのピースみたいなものです。

だから、逃げようと思ったって逃げられるはずがない。だって、この人を好きになることは遺伝子に組み込まれている話だから。塩基配列には誰も逆らえない。

たとえ他の人から「こっちの方がイケメンじゃない?」と別の人を紹介されても、「わかる〜。目元もスッキリしてるし鼻のラインも滑らかだし輪郭もシャープだし、間違いなく一般常識ではそっちの方がイケメン〜〜。でも僕は推しの顔が好き」としか答えようがない。世のイケメンランキングも恋人にしたい男性タレントナンバーワンも知ったことではありません。僕の生きる世界線では、推しこそが六法全書。顔の好みが合う人同士でLINEグループをつくって、延々好きな顔を投下し続ける貴族の遊びをしながら優雅に余生を送りたい。

 
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