mi―mollet5周年、おめでとうございます。
本音で語り合うコミュニティの誕生は衝撃的でした。連載させていただいていたときのことも懐かしく思い出します。もう、3年も前になるのですね。

 


さて「婦人のひと休み」、このテーマを見てびっくりしました。ちょうどわたしも「人生のひと休み」時期を迎えているからです。

 

永続的に仕事を続け、亡くなるまで現役、という方もいらっしゃるかもしれませんが、人生100年時代を生きる上で、どこかでギアをチェンジしなければ、とわたしは考えていました。
ちょうど来年で65歳となるため、今年はその準備をするつもりで、新年早々、大規模な断舎離を終えたところでコロナ禍がやってきました。

三密を避けるのは、もう日常になっていたので、生活はほとんど変わらず、でも、あえて二つのことを決めました。

もっともっとゆっくり生きること。
泣いてもいい、と自分に許すこと。

歳をとると、いままで当たり前にできていたことができなくなります。そしてそれは、たいてい突然やって来る。驚いて、悔しくて、情けなくて、初めは怒りが、次に絶望が、やがて諦めがやってきます。

でも、それでいいのだろうか。自分の行動をもっと大事に扱えないだろうか。
だったら、できないことを数えるのではなく、できることを積み上げていく時間の使い方をしてみようと思ったのです。

できないことは、ひとに助けてもらったり、違う方法を考えたり。すると、それでも結構暮らしはまわっていくことがわかりました。最初はひとに頼むことが恥ずかしかったのですが、いつしか慣れ、皆の優しさが身に沁みています。

こういう時間の使い方は合理的、効率的ではありません。一日のうちに出来ることは限られています。でも、細胞と細胞の間にやさしい風が通るような穏やかさを感じます。なんというか、ちょっと植物になったような気分です。

それでも辛い夜はあります。
コロナ禍のいまは、理不尽なことが多く、そんなときは人前でもなんでも泣くことを自分に許しています。

泣くなんて、10年前の自分には考えられないことでした。いつも緊張し、プライドと負けん気で頑張っていたのです。
そんなものも、ここへきて、しっかり手放すことにしました。

泣くと、身体がゆるむのですね。
リラックスが自動的に起こるのです。涙という水には浄化作用もある。
そして、悲しみをなかったことにするのではなく、心に刻んで嘆きを正面から見据えることもまた、人間には必要なことだと思います。

ゆっくり生き、泣きたいときに泣く。
弱い自分と向き合って暮らせることは幸せです。いまはこんなふうに過ごしています。
 


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