警察の扱いに人種バイアスがありすぎる
「たしかにジョージ・フロイドさんはかわいそうだけれど、犯罪者で逮捕されたのだから、そこはどうなの」
という疑問もあるかもしれないですが、実はそこにこそBLMの本質があります。
たとえば日本人旅行者やアジア系の人間が偽札を使ったとします。
警官に逮捕されるとしても、反抗しなければ、あんなに乱暴に首を押さえつけられることはないはずです。
なぜなら「おとなしいアジア系」とカテゴライズされているから。
白人女性であればむしろ「偽札と知らずに使った」と思われるかもしれないし、白人男性も暴れたら抑え込まれ、叩かれるでしょうが、殺される確率は低いでしょう。
無抵抗だったジョージ・フロイドさんに、警官が過剰な暴力をふるったのは、黒人に対しては乱暴な逮捕の仕方が代々許されてきたからではないかと、多くの人が震撼したのです。
このように白人に対してはしないことを、黒人に対しては行うというダブルスタンダードをフェアではないと抗議しているのが「ブラック・ライヴズ・マター」であるわけです。
犯罪者であろうが、無実の市民であろうが、肌色にかかわらず人権は守られなければならない。
そこに不公平があったらおかしいということです。
「オール・ライヴズ・マター」が間違っている理由
デモが大きくなるにつれ、アメリカでは「All Lives Matter」というスローガンも出まわりました。
「誰の命も大切だ」という主張は、一見、愛に溢れているように響きますよね。
けれども、ビリー・アイリッシュは「オール・ライヴズ・マターは聞きたくない」とインスタグラムで批判したのです。
なぜなら白人層は、すでに命を大切にしてもらえる権利が与えられているのだから、主張する意義がないのです。
ここでは不当に殺されてきた黒人層が、「警察に殺されない扱い」「警察に不当に逮捕されない」権利を、まず確保しようということ。
そして現在のシステムを作り上げてきた白人層が「これを改革しよう」と多く賛同しているのも、今回の特徴です。
平等というのは、不公平な目にあっている人を、まず同じところまで引き上げること。
「人種差別に対して沈黙するのは、それを黙認していることになる」
という思いから、人種の垣根を越えて、アクションを起こしている人が多いのが、今回のムーブメントです。
ソーホーの板塀には、アート作品も
まだ揺れ続けるNYですが、ソーホーの街角には、店舗に貼りつけられたベニヤ板に、ペイントをするアーティストたちも現れました。
これぞクリエイティブなニューヨーカー。
今回のプロテストは世論を動かし、デブラシオNY市長は、警察の懲戒記録について透明性を確保する、市民の声を市警察に届けるための機会を設けるといった改革を実施すると発表。
ワシントンDCでは、市長によってホワイトハウス前の道路が「ブラック・ライヴズ・マター・プラザ」と改名。
大きなムーブメントに、さまざまな州で改革が行われていきそうです。
また、ナイキやソニー・ミュージック、アマゾン、フェイスブック、グーグル、アップル、ゴールドマン・サックス、ターゲット、ウォルマートなどの企業も、「ブラック・ライヴズ・マター」に係わる人権団体に、大型寄付を。
いまや人種差別に鈍感な企業は、企業倫理が足りないとみられていく流れになりそうです。
「ブラック・ライヴズ・マター」の運動は、イギリスやフランス、ドイツ、オーストラリアなど世界の国々でも広がり、日本でもその動きが見られます。
人種差別の不公平を黙認するか、それとも変えていこうとするのか。
他人事ではなく、私たちにとっても自分の問題として考えていきたいことです。
前回記事「ウィズ・コロナ時代、ファッションはどこへ向かう?【ニューヨークからのレポート】 」はこちら>>
- 1
- 2
Comment