店頭で確かめてからしか買えないような物を見に、昨日は久々にインテリア・ショップへ。

黒人差別に対する抗議運動の世界的な広がりに関して、「大変だね。黒人に対する差別は、やはりいけないね」くらいの高みの見物の意識で終わっている黄色人種の日本人の方たちがいたら、申し訳ない言い方にはなってしまうのですが、「おめでたいね」って思います。

なぜなら、肌の色が黄色い日本人は、一歩海外へ出たら、バリバリ差別される側に立つことがあると感じるから。

私は小学生の頃から始まって、大人になってからも色々な国で学んだり、働いたり、旅したりを繰り返し、人種差別の繊細な問題を肌感覚で掴んでいきました。多くの日本人の方々は、人種差別について「ショック療法」を受けたことが無いと思うので、当事者意識がなかなか持てないかも知れません。

現実には、例えばヨーロッパの人からは、普段とても親切にされますが、明らかにアジア系であることを理由とした侮辱を受けることもありました。それから、私個人の経験上、ほとんどの白人は受けない、当局によるランダムな身分証・旅券確認の対象にもなり易いので、暴力問題とは異なるものの、注意も緊張もします。もちろん、黒人に関しては差別の歴史的経緯や度合いが異なるので、一緒にはできないわけですが。

黒人差別に端を発する運動が、なぜ他の人々にも波及するのか。その一つの理由として、全ての人々の人権が守られるまでは、「私」の人権も守られない、という考え方が背景にあると思います。

我が息子は、幼い頃から欧米には何度か旅行に連れて行っていますが、「ショック療法」はまだ経験できていません。そのような中で、幸運なことに、学校や習い事の場において、アフリカ系を含めた色々なルーツや、障害を持つ子どもたちとも出会うことができていて、そのことには親として本当に感謝しています。「我が家と同等以上の学歴と経済力を有する家庭の均質な子どもたちが集まる環境の中で、幼い頃から育てる」ことがエリート教育であるという、往々にして見られる考え方に、私は賛同できません。

なぜなら、大人になって色々な場で働いたり生活したりして気づいたのは、幼い頃から折りに触れダイバーシティを経験することで培われる「地雷を踏まない、洗練された振る舞い」と、多様な友人を持つことで生まれる、理性を超えた人間への愛着が、仕事や社交をしていく上で、非常に重要なアセットだいうこと(職場によっては、こうした経験や意識の高さを採用時に問われるところもあります)。いくら能力が高いように見える人でも、人種、国籍、ジェンダー等に関して不寛容な言動が露呈してしまったら、一瞬にして足元をすくわれます。かく言う私自身も、まだまだその意識を磨き続けないと、駄目なのです。

かつて東アフリカの奴隷貿易の拠点であり、奴隷市場の跡地が見学できるタンザニアのザンジバル島に、ルワンダ勤務時代の健康休暇で、1999年頃に一人旅をしたことがあります。リゾートとしても、文化的にも興味深い場所なので、いずれ旅行先として興味を持って頂けると嬉しいです。

それでは、良い一週間を!