作家・窪美澄さんの新刊『私は女になりたい』の刊行に先駆けて、期間限定で連載掲載! 本日より毎週水曜日更新・全7回にわたってお届けします。

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<あらすじ>主人公の奈美は、アラフィフの美容整形外科医。カメラマンの元夫とは離婚し、シングルマザーとして息子を育てながら仕事一筋で生きてきたけれど、事故のように、十四歳年下の男性患者と恋に落ちます。実は、奈美はクリニックの雇われ院長に過ぎず、佐藤という謎のパトロンがいるのです。パトロンやクリニックのスタッフ、息子の手前、秘めた恋のはずでしたが……。
 
 


『私は女になりたい』窪美澄

(一)
 あの人と別れてから五年の月日が経った。
 あの人のことを思い出そうとしても、もう胸のどこも痛まないということが私を少し安心させる。記憶が少しずつ薄れていくということは私にとっては大きな救いだ。私のなかに散らばっていたあの人の記憶は、黒からグレイにそして白に近づきつつある。早く年齢を重ねて、あんなこともあった、と穏やかな笑みを浮かべられる日が来ればいい。
 そうはいっても、五年かかった。ひどい裂傷を自分の力で一針一針縫い、ガーゼで覆い、抜糸をし、赤みを帯びた傷が白くなるまで、それほどの時間が必要だった。
 別れてから一年もの間、私は自分の泣き叫ぶ声で目を醒ました。あまり気持ちのいい目覚めではない。あの人がこの部屋に残したものは、もうなにひとつない。
 スマホのなかに残っていた写真も(未練はあったが)一枚ずつ削除していった。
 それでもどうしても消せなかった写真が今も一枚残っている。
 二人で行ったたった一回だけの旅行。夏の神戸だ。三宮のガード下。なぜ、そんなに人通りの多いところで写真を撮ろうと思ったのか。あの人は突然、通りすがりの人に私が手にしていたスマホを渡し、「おっちゃん、悪いんやけど、写真撮ってんか」と頼んだのだった。
 衣類や靴、アクセサリー、カラフルで猥雑な商品を扱う店が並ぶ通りだった。その狭い道に二人が肩をすくめるようにして立っている。四十八の私と、三十四のあの人。目を凝らして写真を見つめてみても、自分とあの人との間に、それほどの年齢差があるようには思えない。年齢よりも若く見えなければならない。と、美容皮膚科医になってから半ば脅迫的に思ってきた。だから、自分の顔にもあらゆる施術を施してきた。それが功を奏したのか、彼が年齢よりも上に見られるのか、十四の年齢差があるカップルには到底見えない。そのことが未だに私をほんの少し安心させる。
 写真をピンチアウトして拡大する。私たちはその頃、どこに行くにも手をつないでいたが、なぜだかこのときはそうしていない。手は今にも触れあいそうな位置にあるのに、手をつなぐことを躊躇しているようにも見える。私とあの人の顔を拡大してみる。あの人の顔は満面の笑みを浮かべている。まったく迷いがないように見える。自分の顔もそうだ。けれど、このとき、自分が何を考えていたか、ありありと思い出せる。この旅が終わったら、彼と別れようと、私はそう考えていた。そうして、ほんとうに、そうした。人の表情などあてにならないものだ。彼がこのとき、何を考えていたか、私にはわからない。私と同じようなことを考えていたかもしれないのに。
 男との縁とはなんだろう、と今でも思う。
 前世からの結びつきなどという、スピリチュアルめいた出来事ではない。引き寄せるものでもない。人の縁とは事故のようなものだ。暴走する自動車同士が曲がり角でぶつかってクラッシュするような。別れた夫も息子も、彼も、そうやって私の世界に侵入し、私の世界を変え、塗り替えていったのだから。
 子まで生した夫と別れたときは、せいせいしたものだった。これで、悪縁が切れるとまで思った(実際のところ、もつれた糸をひと思いにちょきんと切るようにはいかなかったわけだが)。夫とつきあう以前に、そして離婚後に幾人かとの恋人とつきあい、別れた。一応は泣いてみたりはしたものの、今にして思えば蚊に食われたようなものだった。
 あの人と別れたときには魂がちぎれる思いがした。自分の体のどこかはもうあの人と同化してしまって、ひとつの何かになっていた。それを無理矢理に剥がしたのだ。心が壊れた。しばらくは友人の心療内科医に処方してもらった睡眠導入剤に頼った。今は薬なしでも眠ることができる。私の心は薄紙をはぐように快復していった。時間というのは残酷だ。魂がちぎれる、とまで思った痛みすら、研磨して滑らかにしてしまう。
 けれど、五年経った今でも、あの人のことを思い出さない日はない。一日に最低でも一度はあの人のことを思い出し、写真のフォルダを開く。あの人がこの世界のどこかで今も生きている、と思うことが私の励みでもあった。結婚をして子どもがいるかもしれない。そう考えると、胸の奥深くに長くて細い針を刺されたような気持ちにもなる。
 けれど、待ってはくれない仕事というものが私を支えた。女性を美しくする仕事、少しでも若く見せる仕事、その人の最大限の美しさを引き出す仕事。女性の顔を白く、滑らかにしてしまう自分の手は、傲慢なことだが、神の手だと思う瞬間もある。誰かに雇われているのではなく、自らの名を冠したクリニックを持つ経営者としてのプライドもある。美容皮膚科医という仕事が私を生かした。そうして五年の月日が経った。
 あの人と出会う前の私は仕事だけに生きる女だった。
 そして、五十三になった今でもそうだ。
 あの人は食べることが好きな人だった。彼とつきあい始めて体重が驚くほど増えた。食事をする店にも詳しかった。都内の和食、中華、洋食、エスニック、めぼしい店にはほとんど行ったのではないか。
 そして、彼は私が食べている姿が好きだと言った。
「ほんとうにおいしそうに食べはりますね」
 そんなことを言われたのは、生まれて初めてだったので、少々面食らった。
 私が作る、料理とは到底言えないようなものでも、彼は喜んで食べた。別れた夫にも言われたことがないことを言われて、私は素直にうれしかった。誰かにおいしいものを食べさせたい、それが喜びであることを、あの人に出会って久しぶりに思い出した。
 私は五十近くになって、本屋に行き、料理本を買い込んだ。生春巻き、テールシチュー、タイカレー、今まで作ったことすらないものを作り、それを彼に供した。彼は喜んでそれを口にした。世の中にこんな幸せがあることを、私はとうに忘れていた。息子が離乳食を食べたとき、私の心はこんなふうに弾んだだろうか。答えはいいえ、だ。自分が冷酷な人間に思えたし、今さら何を、という恥の気持ちはもちろんあった。けれど、あの頃はあの人においしいものを食べさせることに必死だった。
 昔の女ならば五十が寿命だ。老人、といってもいいだろう。けれど、今は美容皮膚科や美容整形の施術で表面的な若さを保つことができる。誰かがテレビで今の人間の実年齢は昔よりも十歳若い(幼い)と言っているのを耳にしたことがある。三十ならば昔の二十、四十ならば昔の三十、というわけだ。そこに医学的な根拠はないが、自分を含め、このクリニックにくる患者さんたちをみていても確かにそうだろう、と思う。けれど、若くできるのは体の表面だ。内臓を若返らせることはできない。若くみえても、私たちは確実に老いている。外と内の年齢差はどうやっても埋めることはできない。七十の女性が、なんらかの施術で六十に見えたとしても、体の内側では老いは確実に進行しているのだ。その溝を私たちは持てあましている。老いのなかで恋が生まれたとして、実際、三十代に見られたとして、実は五十歳なのよ、と言われたときに、相手の心は冷めていくのではないか。あの頃の私はそう信じこんでいた。
 あの人は私が年齢を告げたときに、へえ、と言っただけだった。だから? という顔をした。「それが何か? 関係あるやろか」と関西のイントネーションが混じる彼の声で、それは今でも何回も私の耳で再生される。
 美容皮膚科医としていつまで自分が仕事を続けることができるのか、それはわからない。けれど、その人生に、あの人のような人があらわれることはもうないだろうし、恋というものが介入してくることもないだろうと思う。
 五十三になった今にして思う。あれが私の人生最後の恋だった。そして、あの人といたときの私は、確かに一人の女だった。