「人生」が頭の上に落ちてくるのがこわい

 
以前、村井理子さんが「考える人」の連載で「でっかい『人生』という文字が、私の頭上にドカンと落ちてきている」と書かれていたのを覚えていらっしゃいますか。

この一文が、ずっと頭から離れないんです。

わたしの家族(両親と弟)はいまのところ、ひとりも欠けることなく健在です。

でも、順当にいけば、どうしたっていつかは別れる日がきます。実家に顔を出すたびに老いていく両親の姿を見るにつけ、弟の頭に増える白髪を見るにつけ、その日が来たときのことを想像せずにはいられませんでした。

こんなことを言ったら笑われるかもしれませんけど、こわいんです。人生が平和で幸福だと感じられるほど、いつかはそのつけを払わなくちゃいけないんじゃないかと。

批評家の若松英輔さんは「悲しみの扉を経なければ、どうしても知ることのできない人生の真実がある」(『現代の超克』)と書かれていますけれど、わたしは悲しいことに向き合うのがこわい。「人生」が頭の上に落ちてくるのが、こわくてたまらないんです。
 
(牟田都子)
 

フリーランスで校閲の仕事をされている牟田さんはもともと自宅作業が多いため、外出自粛期間中も生活に大きな変化はなかったといいます。でもだからこそ、その「つけ」がいつかやってくるのではないかと怖くなるのかもしれません。
たしかに私自身、暖かい布団で家族一緒に寝られていることを奇跡のように感じたのもこの頃でした。