月刊誌「JJ」連載をまとめた『The Young Women's Handbook~女の子、どう生きる?~』を上梓した作家・山内マリコさん。キラキラした世界にどこか疲れていた20代の頃を思い出しながら書いたというその連載から、一貫して感じられるのは「自分として生きることを否定しない」ということ。女性はなぜ「自分として生きること」が難しいのか−−そんなことに悩んでいた彼女が警鐘を鳴らすのは、雑誌の表紙や広く世の中に流布する「モテ」という言葉です。

 

山内マリコ Mariko Yamauchi
作家。1980年生まれ。2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。主な著作に『選んだ孤独はよい孤独』(河出書房新社)、『あたしたちよくやってる』(幻冬舎)など。2021年に『あのこは貴族』(集英社文庫)の映画化を控えている。ファッション好きで他エッセイに『買い物とわたし』(文春文庫)などがある。

 

イケてない20代を過ごした私が
今の20代の子たちに伝えたいこと


この本は雑誌「JJ」の連載をまとめたものですよね。

山内マリコさん(以下、山内さん):連載のお話を頂いた時には「えっ?JJっ?」と思ったんです、私自身、「JJ」とはまったく縁がない人生だったので。

ちなみに山内さんの20代はどんなでした?

山内さん:大阪の大学を卒業したあと、京都でフリーターをやったり、ライターの仕事にありついたり、モラトリアムのつづきみたいな日々を送っていました。「JJ」が読者対象とする25歳前後はまさにターニングポイントで、本腰を入れて作家を目指そうと上京した頃。ボロボロのアパートに猫ちゃんと住みながら、小説を書いては新人賞に応募するという、灰色の文学的ニート生活を送っていました。世の中と全くコネクトせず、耳に赤ペンを挿してひたすら原稿を推敲していたので、人生の華の時期を謳歌する「JJ」はまぶしすぎて表紙を直視できないくらい(笑)、自分には縁遠い存在でした。

そうなると、どんなテーマで書こうか迷いそうですね。

山内さん:もしいま自分が25歳で「JJ」を買っていたら、どんな言葉を欲するだろうと考えました。「JJ」は、クラスのヒエラルキーでいうトップに君臨している子が読むイメージがあるし、特集コピーもインパクト強め。そういうキラキラした世界にあこがれながら、どこか無理している読者の心の拠り所になればと思って。それで毎号、中立のスタンスに立ち、「第一特集のコピーにアンサーする」ことをテーマにしました。「雑誌はこう言っているけど私はこう思ったよ」という考えを書くことで、雑誌が提唱することを鵜呑みにしなくてもいいし、違和感を抱いてもいいんだと伝えられたらと。

山内さん自身もそんな風に感じていたんですね。

山内さん:雑誌って人を啓蒙する力がありますから。10代の頃の自分は雑誌で作られた、と言っても過言ではないくらい影響を受けていました。逆に20代の頃は、表紙を見るだけで傷つくから、そのうち女性誌コーナーに立ち寄ることさえしなくなりました。20代の女性向けの雑誌は、あーしろこーしろと要求が多くて(笑)。そういう経験があったので、「JJ」のキラキラした世界にあこがれつつも、そうはなれない自分に落ち込んでるような子に向けて書こうと思いました。

読者の反応、手応えなどはどんなものがありましたか?

山内さん:ツイッターをやっているので感想のリプライをもらうことはときどきありますが、一度、編集部に読者の子から電話がかかってきたと聞きました。読者の子の、けなげさや一生懸命さをすごく感じて、感激しました。読者が必要としている言葉をもっともっと贈りたいと、気合いを入れ直しましたね。


“エビちゃんブーム”に乗れば乗るほど
自分が否定されていく感覚に


連載を通じて「自分として生きることを否定しない」というテーマが感じられます。それはご自身が20代の頃に、誰かに言ってもらいたかったことという部分もありますか?

山内さん:20代といっても、前半と後半は別世界ですよね。個人的に前半は、自分に対して肯定的でいられた気がします。でもその自信の大部分が「若さ」に支えられていたんだってことに、後半戦で気づかされるという……。ちょうど私が25歳だった2005年前後は「エビちゃん」ブームで、あらゆる雑誌の表紙に「モテ」という見出しが踊り、ひとつの概念として世間に広まった時期でした。私も当然のように影響は受けて、髪の毛をくるくる巻いてアイメイクを頑張って、まつエクしてカラコンして、頬をピンク色にして、一生懸命グロス塗って……みたいなことをやっていたんですが、今思えば、やればやるほど自分の顔を否定していたんだなぁと。年齢的に自信が持てなくなっていた時期だから、「これが正解だよ」と言われてしまっては、流行に反抗できない。それだけ弱ってたんです。

女の子がそうした「モテ」情報に踊らされてしまうのは、ある種の生存戦略でもあるんですよね。

山内さん:私自身もそうでしたが、渦中にいる時は「今はこれがカワイイ、これがおしゃれなんだ」という感じで、疑問は感じていないんです。流行に追いつくので必死だから。でも今振り返ってみると、その頃は日本の保守化がすごく進んだ時期。女性が外で働くことがきらきらした時代ではなくなり、結婚にしか希望が持てなくなるものの、自分に相手を選ぶ主導権はない。だから男性が求める女の子らしい姿に擬態しなきゃという無意識の媚びがあったんだなぁと、のちのち全部つながりましたね。

無敵のコギャルをやっていた子が、10年経たないうちにそれだけの方向転換をしているというのは、本当に見事に世相を映し取っていて、さすがのアンテナ感度だなぁと。でも、それだけ世の中というか、世の中を作っている男性の顔色をうかがって、ファッションも態度も生き方も、ころころ変えざるをえないくらい、若い女性に主導権がないということでもあるので、複雑ですね。


付き合う男性に合わせているうち
人間的な成長が妨げられていることも


でも「モテ」を追求してばかりいると、何が「自分」か分からなくなってしまいそうです。

山内さん:強いのは常に「選ぶ」側なんですよね。選ばれようと相手の好みに合わせている立場は、すごく弱い。でも女性はそういう、「あなた好みの女になりたいわ〜」みたいな昭和の演歌的な価値観を美徳だと刷り込まれているから、「あなた」が「不特定多数」になり、「モテ」と概念化されても、それがヤバいことだと気づきにくい。わたしも「モテ」ブームのときは、そこまで見抜けなかったです。

ただ、恋愛を糧にして自分を作り上げることがヤバいということは、実体験から学んでいました。自己形成の段階で、男性を自分の「鏡」にするのは危険だなぁと。『食べて、祈って、恋をして』の原作に、「きみはたぶん、つきあってる男に似るタイプなんだよ」と言われる場面があるのですが、主人公は気づくんですね。15歳くらいの頃からずっと彼氏がいて、いつも相手に合わせてきたから、30代半ばになっても自分がないんだって。絶え間ない恋愛への逃避が、自分の人間的成長を妨げていたのかもと。

時代の気分や流行によって、若い女性の立ち位置や考え方も変わりますよね。今はフェミ要素のある海外ドラマも多いから、そこまでロマンティック・ラブ・イデオロギーが絶対ではない時代なのを感じます。ただ、若い女性であることの難しさは変わらない。その立場を一通り味わったからこそ、「こういう考え方もあるよ」と、なぐさめになる言葉をかけられたらと思ってこの本を書きました。

 

『THE YOUNG WOMEN’S HANDBOOK ~女の子、どう生きる?~』

山内マリコ ¥1400(税別)

雑誌やSNSの素敵なあの子にキリキリしちゃうあなたへ―大事なのは、他人が自分をどう思っているかじゃなくて、自分が自分をどう思っているか。自分で自分を「いいね!」と思える、それがなにより最高で、最強です。
【目次から】
それは誰のためのファッションか/結論、女っぽいを目指さなくていい!/誰かに憧れる、という束縛から自由になる/インフルエンサーにはなれなくても/自分の舟を自分で漕ぐ/旅に理由なんてなかった 他

取材・文/渥美志保
構成/川端里恵(編集部)

インタビュー後編「若い人の邪魔をしないためにも、自分をこまめにアップデートしたい【山内マリコ】」>>