ライターさかいもゆるがアラフォー以上で結婚したカップルへのインタビューを通じて、結婚とは、夫婦とは何かを考える連載。前回に続き、波乱万丈の最初の結婚を経て、子連れ再婚を果たしたあかりさんへのインタビューです。
娘を出産直後に痴漢で逮捕された夫。一時は目の前が真っ暗になったあかりさんですが、示談金を払って出所。その後、夫は再起を賭けて起業します。
あかりさん:「何か大きいことがしたい」と言って IT企業を始めたのはいいけど、事業は浮き沈みが激しくて。調子がいいときには新車2台買ってきたりするけど、ダメなときはその車を売ってポンコツの中古車を買ってくる、みたいな生活。そのうちモラハラが始まったと思うと、酷いときは手が出るようになって……。ストレスで、私も自律神経をやられるようになりました。
そんな生活が続く中、あかりさんは「成功しなくても、手のひらに乗るサイズの幸せでいいのでは」と思うようになり、夫婦の価値観がスレ違い始めたのです。
そしてある日、借金のカタに、せっかく手に入れた小さな家まで手放すことに。
アルコール依存症だったお母様が亡くなったタイミングと重なったこともあり、今まで結婚も彼に押し切られる形でしてしまい、「こんな風に周りに流されて生きて、翻弄される人生はやめなければ。私は私の人生を生きよう」と決意を固めます。
あかりさん:母は59歳という若さで亡くなりました。亡くなったベッドの横に立っていたら、「私はまだ若いんだから、人生を変えなきゃ」という想いが湧いてきました。それで、あるビジネスをスタートしたんです。
当時、あかりさんの娘は幼稚園の年少組。家具も入りきらないような狭いマンションに住み、ヘソクリの額はたったの50万円だったけれど、その中からなけなしの20数万円であかりさんは企業したそう。やはり人間、追い詰められたときに発揮する底力って、凄まじいものがあるのですね。
あかりさん:企業したら、急に狭い部屋も「やっぱり嫌だな」って思って。ヘソクリの残額で、近所に出来た素敵なマンションに引っ越すことに決めたんです。
さかい:お子さんがまだ小さいのに、よく決断されましたね。
あかりさん:以前から彼の収入を支えるためにいろんなことをして生計を立ててきたので。「アイデアと気力があれば、何をしてもやって行ける!」という気概でいました。月30万円くらいは自分でも稼いでいたから、何とかなるだろうと。
結局、夫には引っ越すことをなかなか言い出せずに、引っ越し前日に伝えて別居。夫は事務所に引っ越して、週末はあかりさんのマンションで家族3人でご飯を食べるという別居生活が4年ほど続きました。
「悪い人ではないし、子供のことも大事にしてくれて私のことを必要としてくれるし……」と籍を抜かずに居たらしいですが、いやいや、あかりさん! いい人はモラハラしないし、妻に手も上げないから(涙)!
あかりさん:(苦笑)。最後は共依存みたいになってましたね。だけどなかなか決定打がなくって。途中、風俗通いがわかったことが最後の決め手になりました。出張帰りにiPadを見せてもらったらデリヘルの検索履歴があったり、お財布の中に「今日はありがとう♡」って、ピンサロの女の子の名刺が入っていたり。
さかい:失礼ですが、あかりさんって成育環境に何か影響受けてたりします? ダメンズと付き合ってしまう女性は成育環境の影響もあることが多いような気がします。
あかりさん:うちは父が酷いDVで、それが原因で母がアルコール依存症になってしまったんです。それを見て育った私も、不必要に耐えることを刷り込まれたので、恋愛観を拗らせてしまったところはあるでしょうね。
別居後に夫の会社が一度倒産し、借金が1億円以上あることが発覚したことで、ようやくあかりさんは離婚したいと夫に伝えます。娘が小学3年生、あかりさん40歳の年のことでした。
気になるのは、借金1億円の行方。離婚しても配偶者は負の遺産も分配しなければならないので、そうするとあかりさんにも返済義務が生まれてしまう可能性があるはず。
あかりさん:それについては、彼の事業の出資者がペンディングにしてくれて、コロナで再度保留になっているみたいです。
財産分与なし、養育費もなし。その条件で離婚が成立。
が。実はあかりさんには、離婚前から交際している恋人が居ました。
さあ。今度こそ、あかりさんはダメンズを卒業できるのか!? そのお話は次回に続きます。
構成/川端里恵(編集部)
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