「わぁ、いい雰囲気!」
食事の後にやってきたルーフトップバーは、都心の夜景が一望できる素晴らしいロケーションだった。無条件にテンションが上がる。
着席シートは一人3000円のチャージが要ると言われたが迷わずOKした。11月に入り夜はもう冷える。アウターを着たまま短時間で切り上げるつもりではあったものの、それにしたって立ちながら飲むのは辛い。
ところがソファで飲み始めてまもなく、早希は自分たちだけが別世界にいるような錯覚に襲われた。
というのも、気づけば周囲はカップルばかりなのだ。恋愛を楽しむ男女が各々の世界で囁きを交わしている。
誰もアラフォー2人組になんか目もくれない。みんな目の前の恋人に夢中で、早希のことなど存在すら見えていない様子だった。
――男性からあんな風に見つめられたの、いつが最後だっけ……。
恋人たちをぼんやり眺めながら、脳が勝手に過去を辿り始める。愛し愛された思い出……もう、遠い昔の。
刹那、危うく像を結びそうになった男の顔を早希は慌てて追い出した。
「すみません、ジンロック追加で」
努めて明るくスタッフを呼び止める。
――ダメ。余計なこと考えず今夜は飲もう。絵梨香の誕生日なんだし。
強く自分に言い聞かせると、早希は「絵梨香、おめでと!」と声を上げ再び親友とグラスを合わせた。
40歳独身女を蝕むトラウマ
「早希、お祝いありがとう!」
「最高に楽しかった!またね!」
結局二人で閉店まで居座ったのち、フワフワしながら青山通りでタクシーを拾った。
「ちょっとだけ」のつもりだったのに今夜もまた飲みすぎてしまった。座った途端、どっと疲労が襲う。
「赤坂まで」と告げ、僅かに残った体力を使ってLINEを開いた。
今夜、本当はもう一人、清水美穂も一緒に絵梨香を祝う予定だった。美穂も同じ大学の同級生だ。
子どものいる美穂はほとんど集まりに来ないのだが、今夜は絵梨香の40歳の節目ということもあり「絶対行くね」と言っていた。しかし結局は直前でキャンセル連絡が届いたのだった。
『美穂、今夜は残念。また近々会おう』
そうメッセージを送り、続いて写真も添付しようとカメラロールを見渡す。
けれどいくつか撮ったはずの写真はどれもこれも顔が疲れ切っており、加齢の現実をまざまざと見せつけられてしまった。
……酔っているせいだろうか。早希の脳裏に珍しく卑屈な考えがよぎる。
――こんなはずじゃなかったのにな。
自分が40歳まで独身でいるなんて、まったく予想していなかった。
早希の場合、自ら結婚しない生き方を選んだわけじゃない。選べなかっただけ。計画が狂ったのだ。
当たり前に結婚し子どもをもうけ温かな家庭を築く。それが早希の未来予想図だった。そう、美穂と同じように。
――私、一体どこで何を間違えたんだろう。
夫と子どもに囲まれている美穂と、誰もいない真っ暗な部屋に帰る自分。
その差を直視した瞬間。今度は止める間もなく、雪崩のように重く冷たい記憶が押し寄せてきた。
『ごめん。本当にごめん。俺……早希とは結婚できない』
あれからもう12年が経ったというのに。
裏切り者が言ったセリフも表情も、ズタズタに切り刻まれた心の傷も。すべてが生々しく蘇って、早希は後部座席でひとり体を震わせた。
いまだに癒えない過去のトラウマ。そして美穂の実情も、早希の想像とはまるで違っていた。
構成/片岡千晶(編集部)
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