「時間なら、昼間にいくらでもあるだろ?」
『今夜、青山グランドホテルのイタリアンに19時ね。進藤で予約してるよ』
早希からのLINEが届いた瞬間、美穂の顔は自然と綻んだ。
『ありがとう。本当に楽しみ!』
学生時代からの親友である彼女に会うのは年始の新年会以来、実に久しぶりだ。
湊人だけはコロナウィルスに感染させまいと神経質なくらいに自粛に自粛を重ねていたら、あっという間に年末になってしまった。
けれど今夜は、同じく長年の友人たちと40歳の誕生日を祝う。夜の外出なんてあまりに久しぶりで、朝起きた瞬間から逸る気持ちが抑えられない。
「みーくん。今日はママ、お友達の大事なお誕生会があるから、パパといい子にしててね。宿題もちゃんと終わらせてね?」
「いいよー」
学校から帰宅した息子がすんなり机に向かったのを確認し、美穂は胸を撫で下ろす。夕飯もお風呂も、パジャマも遊び道具も準備はすべて完璧だ。
「お風呂も入って、9時には寝るのよ?」
「知ってるよー」
素直に返事をした湊人の頭をそっと撫で、美穂はクローゼットへと向かう。
最近人と会うこともめっきり減ったから、着古したワードローブしかない。けれど、なんて事のない普段着をオシャレに着こなすのは、実は美穂の得意技だ。
出版社の花形部署に所属し、抜群にお洒落な早希ですら、美穂の服を目にするたび「それ、どこの?」と興味深そうに聞いてくる。そしてZARAやユニクロのプチプラ服だとこっそり打ち明けた時の早希の反応。彼女が目を丸くするのを妄想して、美穂は服選びに気合を入れた。
「何してんの?」
すると、貴之がイヤホンを外して振り向いた。
「今夜お誕生会の服、選んでて......」
冷たい視線に、背筋がヒヤリとする。さらに次の瞬間、夫は無感情に言い放った。
「ていうか、夜も会議が入った。今日は無理そうだよ」
「え......」
ーーえ?何が?何で?一ヶ月近く前から、あんなに何度も確認したのに?
胃がぐにゃりと締め付けられるような感覚と共に、たくさんの「?」が全身を駆け巡る。
なのに、言葉が出ない。
「そもそも時間なら昼間にいくらでもあるだろ?ずっと暇なんだからさ。予定なら昼間に入れろよ。俺は仕事してんだから」
ーーみんな昼間は働いてるの。夜しか時間が合わないの。
美穂は心の中で叫ぶ。
「......場所、すぐ近くなの。ほら、できたばっかりのグランドホテル。なら湊人が寝てから少しだけ......」
「だから会議が入ったんだよ」
「でも、絵梨香の40歳のお祝いなの。30分だけでも......」
そのとき、ゴン、と鈍い音が右耳をかすめた。
「何言ってんの?湊人が起きたらどうすんの?」
身体の奥から小刻みな震えがこみ上げる。
恐る恐る視線を落とすと、サーモスのタンブラーが足下に転がっていた。自分に向かってモノを投げられたのだ、と認識するまでにしばし時間がかかった。
「湊人に可哀想なことするなよ。おまえ、母親だろ」
そう言い捨ててイヤホンを装着した夫に対し、美穂が反論する余地は、もうなかった。
美穂はモラハラ夫に虐げられていた。一方、恋愛から遠く離れた早希の前に若い男が現れる
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