オトナの本も好きだけど、子どもの本の世界もだいすき。
眺めているだけで、なんだか幸せな気持ちになります。
そんななんちゃって司書の青豆が、ミモレ婦人のみなさんに、少し視点を変えて大人目線で絵本の世界をご紹介します。
私事ですが、去年、念願叶って図書館勤務となりました。
穏やかでHAPPYだと思っていた勤務地、しかし、そこで毎日感じる得体のしれないモヤモヤ。
その正体のひとつは「絵本の好きな親子=幸せの象徴」への違和感でした。もしかして私の感じる「違和感」こそが私たちを苦しめているのかも、そう思い、今回はこんな絵本の紹介をします。
……無意識に読んでいる絵本の中でバイアスかかってない?
どれも見たことある絵本じゃないかな?
日本の絵本は、お母さんは台所、お父さんは夜に登場。というか、お父さん自体があまり家庭描写に出てこないんですよね。たまに出てくると、一緒に遊ぶくらい。(最近は、意識的に以前より登場していますが……)「イクメンしてると思っている夫」と「していないと感じる妻」の平行線が「絵」になって表れています。
そして、おやすみなさいの場面では、添い寝をしているのはお母さんで、お父さんがいる場合は、川の字スタイル。
(どのシーンがどこにでてくるかは、読んでみてください☆)
ところが、海外絵本をみてみると……。
登場回数はお母さんに比べて少ないものの、お父さんは、赤ちゃんを抱っこするのはもちろん、ごはんを作ったり、洗濯へいったり、ごく自然に登場します。
そして、おやすみなさいの場面では、子どもは一人ベッドで眠ります。寝かしつけも夫婦一緒か、お父さんの登場率が多いです。
授乳方法や家の間取りなど文化的背景もあるけれど、なんだ?このあっさりした感じは!?お母さんたちもお父さんも、なんだか楽しそう!
こちらは、夜になったら大人の時間のスタート。ヨーロッパの香り漂う親子関係。
中でも、わたしのその後の生活を変えたといっても過言ではない(@バタやん先生)絵本がこれ。
『ほんとにほんと』
文:ケス・グレイ 絵:ニック・シャラット 訳:よしがみきょうた 小峰書店
お母さんは夜におでかけするため、主人公デイジーをシッターさんに預けます。そこで、主人公デイジーとシッターさんは楽しい夜を過ごすというお話。
これでいいの?!
預ける後ろめたさは0%。子どももお母さんの留守を満喫し、楽しそう。
保育園に行かせるだけで「子どもがかわいそう」といわれ、心苦しく、仕事以外の時間はすべて子どもへと思っていた私。
長女が生まれてから、子どもを置いて夜に出かけるなんて考えもしなかった。
この絵本を見て、すーーっと自分中の「お母さん」の呪縛がポロポロと解けた気がしました。
海外の絵本は、日本と比べ、多様な人種や文化があるせいか、お母さん不在でも、お父さん不在でも、お仕事がどうであろうと、そのことは当たり前として存在し、それぞれの家庭、それぞれの形で楽しそうにおおらかに生活しているものが多い気がします。
今回載せた絵本は、どれもぜーんぶ、だーーいすき。
私自身、男女平等を常に考え、先進的合理的に生きてきたわけではなく、どちらかというと、今でも、絵本に描かれる森の中で暮らす動物たちや古き良き時代のような「ていねいな暮らし」に憧れています。
でも、自分でその生活を選ぶのではなく、かつての私のように、しらないうちに「お母さん像」に縛られて、苦しんでいないかな?
「ピーマン=嫌いなもの」と刷り込まれていくように、子どもたちに「お母さんいない=さみしいこと」「おかあさん=がんばってる」が刷り込まれていないかな?
国内外問わず、読み継がれる絵本、新しい絵本もそれぞれのよさがあります。
ちょっと視点を変えて読んでみることで、大人にとっても絵本が新しい世界への一歩になるかもしれません。
海外滞在経験も多いミモレ婦人のみなさん、実際の生活はどうなんでしょうか?
(特に、この川の字シーンにどう感じるのかしら?)
──さいごに余談。
わたしの大好きな林明子さんのこの絵本が復刊されていました。
30年以上前の出版なのに、お父さんが保育園に送っていく絵本です。当時、お父さんが送迎する少数派の我が家。図書館で出会い、あの頃の私の心の支えの1冊でした。
みなさんの感じた違和感、よかったら教えてください。
青豆さん
オロオロしたり、悩み多きわたしですが、そんな自分を楽しみながら ミモレ読者の皆さんと一緒に歳を重ねていけたら…
まだまだ、人生ときめきたいこといっぱいです。 ステキな企画でワクワクしています。